めんどくせぇことばかり 『聖灰の暗号』  帚木蓬生
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『聖灰の暗号』  帚木蓬生

聖灰の暗号〈上〉聖灰の暗号〈下〉
帚木蓬生

新潮文庫

歴史学者須貝彰は、南仏の図書館で世紀の発見をした。異端としてカトリックに憎悪され、十字軍の総攻撃を受けた清く、貧しく、つましい人々は・・・


以前に一度読んでいます。調べたら、2007年のことで6年ぶりの再会でした。当時はブログの“ブ”の字も知らない時だったんで、ぜひここで紹介したいと思いました。

1ページ、2ページと読み進むと、・・・。あっという間に6年前の興奮が蘇りました。そうだった。6年前も読み始めたら興奮して眠れなくなって・・・。

中世フランスの歴史を研究する日本人の学者須貝彰が、南仏トゥールーズの市立図書館の古い歌と地図の書かれた古文書を発見する。それは須貝が専門とする“カタリ派”の真実に通ずる扉を開けるための“鍵”に相当するものだった。扉は限りなく、おそらく世界一重厚で、こじ開けようとするものを頑なに拒んだ。

須貝彰は、ペール・ラシェーズ墓地で偶然に巡りあった精神科医クリスチーヌ・サンドルとともにカタリ派の真実を追い求める。カタリ派を追い詰め、徹底的に滅ぼし、文書を残すことさえ許さなかったのはローマ教会だった。ローマ教会はカタリ派の真実にたどり着こうとする二人を頑なに拒んだ。

偶然に導かれ、二人は南仏サン・リジエの町で再会する。固く結ばれた二人。しかし、真実を覆い隠そうとする魔の手は、すでに二人の背後に忍び寄っていた。

カタリ派については、6年前にこの本を読むよりも前に、佐藤賢一の書いた『オクシタニア』で呼んでいる。これも大変面白い本で、夢中で読んだ記憶がある。『聖灰の暗号』で語られているのはアルビジョワ十字軍後の、言わば残党狩りに等しい時代であるのに対して、『オクシタニア』はまさに南仏トゥールーズにおけるカタリ派の拠点がアルビジョワ十字軍に根こそぎにされ、ラストでは最後の攻防を繰り広げたモンセギュール城が陥落し、1244年の開城とともに225名のカタリ派信徒が焼き殺されるまでの歴史を背景にした物語だったように記憶している。
事実を見れば、インノケンティウス3世がカタリ派に対する十字軍を起こしたのは1208年、隠れカタリ派最後の火刑は1330年頃とされている。つまりカタリ派は120年あまり、ローマ教会の追手を逃れて生き延び、ついには息絶えたことになる。

『聖灰の暗号』の物語の中で、後世へのメッセージを残したレイモン・マルティは、カタリ派の両親を火刑で殺されたドミニコ会に属する通詞であるという設定になっている。ローマから派遣された司教にオキシタン語を通訳する彼は、めぐりあわせとはいえ体制派の人間として登場する。しかし、いつしか審問をうけ、火刑台に送られるカタリ派信徒に思いを寄りそわせ、彼らの存在を後世に伝えようとする。その思いを700年後の須貝彰たちが受け取ることになる。

レイモン・マルティの筆として、著者は火刑に処せられるカタリ派信徒の姿を以下のように描いている。
檻から出されたとき、追い立てられるのではなく、まるでそこに澄んだ水をたたえた救いの泉や、温かいシチューの鍋が置かれているような、嬉々とした顔で、自ら火刑台まで、よろよろしながら辿りつき、棒に縛りつけられる間も、まだ気を失ってはいけないと、自らを奮い立たせるように眼を見開き、それは牧に火がつき、炎が身体全体を覆うまで続き、縄が焼けて、両手が自由になると、やっと思いがかなったという安らぎの顔で、手のひらを合わせて祈りの姿となり、その手が燃え、顔が燃え、目鼻立ちが分からなくなり、黒い炭となり、ところどころは骨が露出したまま、火の勢いが弱くなりだすと、パコー大司教がまた手をあげ、もっと燃やせ、灰になるまで燃やしつくせというように顎を突き上げるので、執行人たちは脇のほうにとってあった薪を継ぎ足し、やがて再び燃え盛る炎の中でようやく形を保っていた炭と灰になった人の身体を、鉄の棒で突き崩してしまう。・・・
ああっ、きっとそうだったんだ。

感情移入しやすい質なのはもともとのことなんですが、そう思わされてしまったのは主人公須貝彰という歴史家の姿勢にもあったように思います。彼の恩師アリエス教授のこんな言葉が出てきます。
『歴史家の仕事は、あそこに葬られている偉人たちの歴史を顕彰することではない。それは誰か、他の連中に任せておけばいい。私たちはそれまで見えなかった過去を見えるようにしなければならない。見えているのに気づかなかったり、見ようともしなかった過去を明瞭にするのが任務だよ。ちょうど科学者が顕微鏡をのぞいて細胞を発見したり、病原体を見つけたりするのと同じだ』
著者は、これを《歴史学の核》と名づけています。

作家の立場からとはいえ、ある意味で広く知られていない事実を世にアピールする点では、この『聖灰の暗号』も同じ役割を果たしている。著者はこの物語を書く自分の役割を《歴史学の核》と位置づけたのではないだろうか。

では、私たちの周りには、《見えない過去》、《見えているのに気づかなかった過去》、《見ようともしなかった過去》は・・・?ほんの70年足らず前、焼き殺された数十万の人々。南方の海に、孤島に散った人々。北の大地に・・・。光を当てなければならないものは、意外と身近に・・・。


    

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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