めんどくせぇことばかり 稀勢の里 白鳳戦(九州場所十四日目)の万歳三唱
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稀勢の里 白鳳戦(九州場所十四日目)の万歳三唱

相撲の大ファンです。なかでも、稀勢の里は、萩原という本名で土俵に上がっていた頃から注目してきた。「稀な勢いで駆け上がる」という願いを込めて“稀勢の里”という四股名に変わった頃には、その名の通り、順調な出世を疑わなかった。

しかし、恵まれた身体に慢心したか、捌きが上達せず、ほかにも詰めの甘さ、勝負に向けての心の作り方など、多くの欠点を露呈して、出世が遅れた。それでも、少しずつ、少しずつ、相撲がうまくなった。詰めでは腰をどっかり落として相手を寄り切る形を身につけて大関昇進。栃東、魁皇引退後は、モンゴル勢に太刀打ちできる力士もない状況で、稀勢の里への期待は高まった。

最後に残った課題は、“立ち合い”と“心”。今場所、十三日目、十四日目に行われた二人の横綱との勝負は素晴らしかった。びっくりしたのは、出足の鋭い日馬富士、白鳳の両横綱に立ち勝ったこと。それ以上に、そこに至る心の作り方だ。風格では白鳳と五分五分、日馬富士に対しては、完全に上を行っていた。



ほんとうに嬉しい相撲だった。もしも今場所で見せた風格が本物なら、・・・。期待は高まるが、これまでにも何度も裏切られた。期待はほどほどに、もし本当にそうなったら、そうなったときに喜ぼう。

それはそれでいい。《それでいい》では済まされないのは、客席から自然発生した万歳三唱だ。場所に駆け付けた観客が熱狂するのは分かる。それだけ稀勢の里に対する期待が大きいのも分かる。だからと言って万歳三唱はない。力士たちはお互いのすべてをぶつけあった勝負でも、終われば一礼をして土俵を下りる。この時、負けた白鳳も一礼をして土俵から下りている。勝ち負けは礼で段落がついている。それを客席から蒸し返しては、次の勝負への遺恨にしかならない。

たしかに、モンゴル勢の相撲には美しさに欠ける部分がある。張り差し、張り手、かち上げ、強引に相手の頭を押さえつけて、ときには髪や髷に影響するのもお構いなし。十三日目、切羽詰まった日馬富士が稀勢の里を強引にこてに振ったが、相手が負傷することへの頓着など微塵も感じられなかったし、むしろそれを望んだのではないかとまで思わせる行為だった。

《それでも》、である。勝負には清々しさが必要である。稀勢の里はそれをつらぬいている。他にも、そういう力士は決して少なくはない。ならば、応援にも清々しさが求められていい。

「白鳳もいい相撲だった。次は負けるなよ、横綱」という声がかかってこそ、次の勝負が楽しめる。

もう一つ、最近、テレビに映りやすい客席で、力士の名前を半紙程度の紙に書いて応援している人たちが目につく。気持ち悪い。なんかの宗教団体の刷り込みのようだ。どうして応援している《私》をテレビにアピールする必要がある。


   

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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