『新訳 日本奥地紀行』 イザベラ・バード
『完訳 日本奥地紀行』全四巻が完結したと思ったら、『新訳 日本奥地紀行』発行。一体何なんだ。
バードの日本旅行記は、一八八〇年に「完全本」として、一八八五年に「簡略本」として刊行されているんだそうです。「完全本」を底本としたのが『完訳…』で、「簡略本」を底本としたのが『新訳…』ということ。イギリスでも完全版が先に出て、簡略版が続いたのと同様ということ。当然、簡略版には簡略版のいいところがあるわけで、解説によれば簡略版が完全版を保管する場合もあるという。
自分の研究に活かすためなら両方読まなきゃだけど、私あたりの“大英帝国人の目に、日本がどう写ったのか”に興味がある読者にすれば、・・・まあ、ねぇ。正直、『完訳…』膨大な訳注には驚かされた。私に必要な訳注は十個に一個。『新訳…』ではそれが省略され、バードの旅行記が一冊にまとめられた。
『完訳…』の過去記事より





一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
バードの日本旅行記は、一八八〇年に「完全本」として、一八八五年に「簡略本」として刊行されているんだそうです。「完全本」を底本としたのが『完訳…』で、「簡略本」を底本としたのが『新訳…』ということ。イギリスでも完全版が先に出て、簡略版が続いたのと同様ということ。当然、簡略版には簡略版のいいところがあるわけで、解説によれば簡略版が完全版を保管する場合もあるという。
自分の研究に活かすためなら両方読まなきゃだけど、私あたりの“大英帝国人の目に、日本がどう写ったのか”に興味がある読者にすれば、・・・まあ、ねぇ。正直、『完訳…』膨大な訳注には驚かされた。私に必要な訳注は十個に一個。『新訳…』ではそれが省略され、バードの旅行記が一冊にまとめられた。
![]() | 『新訳 日本奥地紀行』 イザベラ・バード (2013/10/12) イザベラ バード 商品詳細を見る 旅を読み、人を読み、場所を読み、時代を読む |
『完訳…』の過去記事より
『完訳 日本奥地紀行1―横浜―日光―会津―越後』 明治11(1878)年の日本人に見られる特徴は、私たち現代日本人には想像も及ばないほどに礼儀正し事。好奇心が旺盛なことは私たちも共通するが、公正さやとてつもない勤勉さも私たち以上である。本書に登場する日本人が、私達の大きな特徴である“きれい好き”からは大きくかけ離れた“不潔”であることにはびっくりさせられた。しかし、“きれい好き”であることと“不潔”であることは矛盾しない。社会的、技術的未熟さから、“不潔”に甘んじなければならなかった事は充分考えられるし、都市部の様子を考えれば、むしろそれが真実に近いのではないだろうか。 これより少しあとの時期、帝国議会の議事録は、私の故郷秩父の山地の人々を「土民」と記している。おそらくバードの旅した「奥地」と同じ様子が広がっていたことだろう。ほんの数世代前の話である。 旅は、奥州街道から日光街道、ここからは外国人にとっては未踏の世界に入って新潟へ。あちらこちらで“不潔”で好奇心旺盛な、無邪気な日本人の目にされされる。それはバードにとって愉快なものではなかったろうが、やはりそうなるだろう。当時の日本人が、自分たちと較べ、“外国人を礼儀を知らない者たち”とみていた様子も、また面白い。 |
『完訳 日本奥地紀行2―新潟―山形―秋田―青森―函館』 気持ちよく泊まれるように暖かくもてなしてもらえたところがほとんどである。また私の泊まった宿の多くが、日本人さえ泊まらないような、主な街道筋から外れた小さくてむさ苦しい村にあったことを考慮すると、その宿は蚤と悪臭を差し引くなら驚くばかりに素晴らしかったし、こんな辺鄙な地域にあって、このような宿に匹敵するものは世界広しといえども、どの国にもないと思う。 多くの点、とりわけ表面的なことの一部に関しては日本人は私たち[英国人]を大きくしのいでいるものの、他方多くの点で私たちとは比べものにならないほどに遅れている。この親切にして勤勉で文明化した人々の中にどっぷりと浸かって過ごしていると、この人々[日本人]の礼儀作法を、何世紀にもわたってキリスト教によって培われてきた[英国人の]ものと比べるのはひどく不公平だということをつい忘れてしまう。私たちが真にキリスト教化されており、このような比較が常に私たちに分のあるものであればよいのだが、実際にはそうではないのである! |
『完訳 日本奥地紀行3 北海道・アイヌの世界』 ・・・私に贈ることを強く望み、私が買いたいのですというと、それなら手放したくありませんといった。私が買いたいと思ったのは、煙草入れ、煙管、柄と鞘に彫り物がある小刀のような彼らが実際に使っているものだった。この三つを買おうと二円五十銭を差し出すと、売りたくありませんといった。とろこが、夕方にやってきて、一円十銭の値打ちしかありませんのでその値段でしたらお売りしますといった。そしてそれ以上の金は受け取ってもらえなかった。儲けるのは「私達の習わし」ではありません、と言った。 |
『完訳 日本奥地紀行4 東京―関西―伊勢』 自然の美を愛でる気持ちこそは、日本人の特性のうちで一番喜ばしい点の一つであり、特定の満開の花を見ることの出来る場所に出かけて行って次々と楽しむことにもよく表れている。・・・四月こそは日本の最高の月であり、最高の花木であり、種類も様々な桜が美しく咲き誇ると、東京中の人が晴れ着を着て、岡の高台を為す飛鳥山や王子、とりわけ上野へと集まってゆく。 日本に何よりも望まれるのは、この国が、私たち西洋の諸技術や諸科学をつかんだのと同じように積極的に、我等の主イエス・キリストが唇と命をもって説かれた初期キリスト教の真理と純粋性をつかみとることである。また、雄々しさと国民の偉大さの真髄を備えつつキリスト教を受容する時にはじめて、この国は最も高尚な意味において「日出る国」、東アジアの光となりうるのである。 |


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