天女を抱こうとした釈迦(覚書)『仏教の釈迦・キリスト教のイエス』 ひろさちや
釈迦は天女を得ようとした
仏教がインド社会から消え失せたのは・・・
篤く三宝を敬え
エリ、エリ、レマ、サバクタニ







一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
著者は、「人間は人生のそれぞれの局面にあって特定の行動を選択します。が、その選択は、すべてその局面において評価されなければなりません。釈迦は二十九歳の時に出家を選択しました。その選択は二十九歳の時点において評価すべきです」というが、まったくその通り。当時のインドに、「出家によって来世は天界に生まれ、天女を抱ける」という考えがあったなら、釈迦だけがそこから自由であったというのはおかしい。俗世のできごとかから決別したということが結果として《仏陀》となることにつながったが、出家の時点では来世の天女を抱いた天界の生活が思い描かれていたというのはとても面白い。 それにしても、『ブッダチャリタ』っていう叙事詩の中のヤショーダラーの恨み事はいいなぁ。なんかこう、ぞくぞくするものを感じる。
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![]() | 『仏教の釈迦・キリスト教のイエス』 ひろさちや (2013/11/21) ひろさちや 商品詳細を見る 信仰の立場からは、人間扱いできない二人です |
釈迦が作った仏教教団をサンガといった。サンガの特徴は徹底的な平等主義で、社会的身分、職業、カーストさえも問題とされなかった。しかし、カーストを無視したこの平等主義ゆえに、サンガの構成員全員が、そのうちの最低のカーストの人間と同じに扱われた。構成員のみならず、その支援者である在家の信者まで含めて、非常に低いカーストの人間にされた。 |
篤く三宝を敬え
聖徳太子も、十七条憲法の二番目の項目として『仏法僧を敬え。それが命あるものの最後で、最上のよりどころである』としている。「三宝に帰依しなさい」ということだけど、驚いた。「帰依する」の本来の意味は、「避難所に逃げ込みなさい」だそうだ。仏教とは逃げ込む場所だったんだ。 仏教に逃げ込めば、もう大丈夫。そういう地位を、世間が仏教に許していた。それは権力も許していたということになるわけで、《彼岸をめざすもの》なら、かかずらわる必要もないという認識なんだろう。 ところがイエスは違う。イエスは人の世の価値観に喧嘩を売った。金持ちが不幸で貧乏人が幸せだと・・・。それは当時のユダヤ人社会のおかれた状況が、イエスという宗教者が人の世の外に立つことを許してくれなかったということなのかなぁ |
エリ、エリ、レマ、サバクタニ
『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』・・・十字架上のイエスが神をのろう悲痛な叫びのように受け取っていたけど、旧約聖書の「詩篇」にある句だそうですね。
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