『私を劇的に変えた 日本の美風』 呉善花
2010年発行の本。呉善花さんの本だから読んだかなぁって思ったんだけど・・・。読んでた。でも、もちろんのことながら、全部内容を覚えているわけじゃないし、全部読み直してしまった。で・・・、面白かった。
日本人は《日本人論》に対する関心が高く、実際、たくさんの《日本人論》が出版されている。他国との関わりの中で、自分の立ち位置に不安を抱いている日本人が多いということだろう。「それは辺境に生きるものの特質」という意見をなんかの本で読んだ。たしかにそういう要素もあるだろうけど、それだけじゃないと思う。
戦争に負けたことで、中途半端に捏造された歴史と自分を同一化できない。私らの年齢にすればほんの一・ニ代前、若い人たちにしてもほんのニ・三代前の日本人と自分の連続性を自覚できない。といって、敗戦国民である日本人用に歴史の捏造で設えられた居場所など、余程の無神経でなければそのまま収まってもいられない。結局、過去から切り離されてフワフワ時空を漂う。漂いながら、もがくようにして自分を確認しようとしている。
呉善花さんは一九五六年の韓国は済州島に生まれ、一九八三年に留学生として初来日。その後日本評論家として執筆活動を始め、多くの読者を得た。現在は日本に帰化している。そういう立場だからこそ、日本人には気づくことのできない“日本人らしさ”を浮き上がらせることができる。
“日本人らしさ”の中に花開いた美風を意識し、未来の中に位置づけていけるかどうか。それが現在の日本に問われていると、著者は言っている。
たとえば、第二章《埋められない日韓「精神」文化の隔たり》の中の「かくも異なる日韓ビジネス・マインド」という項目は面白かった。冗談半分に話しのつかみで遺伝子にまで言及しているが、“物事に対する細やかな視点”に関しては、日本人は特別なものを持っているようです。
著者はそれを《対象を外側から眺めるだけではなく、対象の内側へ入っていこうとする意識の動きの強さ》、《対象との同化意識の強さ》とし、日本人特有の資質としている。それは他者を思いやる日本人の美質を生み出しているが、政治や外交の分野においては褒められた特質とは言えない事態をも招きかねないと分析する。
なんとなく分かっていることだけど、それにこういう言葉を当てて説明するって、なかなか難しい。外から見る目を持っているからこそ、より見えてくるものがあるんだろうと感じる。
また、「お陰さまで」なんて言葉を日本人は当たり前に使ってる。あまり、「自分の努力でうまくいってるんだ」なんて鼻高々な人はあまり見かけないし、身近にいたら嫌がられる。かと言ってそれは、「お世話になりましてありがとうございます」って、特定の人への感謝の気持ちというのとも違う。私だったら、「ご縁があって」くらいの言葉で済ましてしまうけど、著者は、「自然力の作用を受けて、それとともに生きてきた自己への自覚」という言葉を当てている。
そういった一般化した言葉に置き換えることによって、一般的分析も可能になるわけだ。
事実上、日本は、世界からうらやましく思われるような社会を築き上げた。それも、人類史に残るような厳しい歴史的体験を近い過去に持ちながらである。その状況に、日本人的特質が関係していないはずがない。にもかかわらず、日本人はそのことに無頓着するぎる。だからこそ、日本をこよなく愛しながら、しかも日本を外から見る目を持った著者のような人物の意見に耳を傾ける価値がある。






一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
日本人は《日本人論》に対する関心が高く、実際、たくさんの《日本人論》が出版されている。他国との関わりの中で、自分の立ち位置に不安を抱いている日本人が多いということだろう。「それは辺境に生きるものの特質」という意見をなんかの本で読んだ。たしかにそういう要素もあるだろうけど、それだけじゃないと思う。
戦争に負けたことで、中途半端に捏造された歴史と自分を同一化できない。私らの年齢にすればほんの一・ニ代前、若い人たちにしてもほんのニ・三代前の日本人と自分の連続性を自覚できない。といって、敗戦国民である日本人用に歴史の捏造で設えられた居場所など、余程の無神経でなければそのまま収まってもいられない。結局、過去から切り離されてフワフワ時空を漂う。漂いながら、もがくようにして自分を確認しようとしている。
呉善花さんは一九五六年の韓国は済州島に生まれ、一九八三年に留学生として初来日。その後日本評論家として執筆活動を始め、多くの読者を得た。現在は日本に帰化している。そういう立場だからこそ、日本人には気づくことのできない“日本人らしさ”を浮き上がらせることができる。
“日本人らしさ”の中に花開いた美風を意識し、未来の中に位置づけていけるかどうか。それが現在の日本に問われていると、著者は言っている。
![]() | 『私を劇的に変えた 日本の美風』 呉善花 (2010/03/19) 呉善花 商品詳細を見る 現在の中にはぐくまれている「日本の美風」を、どう未来に位置づけるか |
第一章 日本の心性が私の心を痛撃した 第二章 埋められない日韓「精神」文化の隔たり 第三章 日韓併合百年。日韓近代史の分岐点 第四章 環境、捕鯨問題で世界に発言すべきこと |
たとえば、第二章《埋められない日韓「精神」文化の隔たり》の中の「かくも異なる日韓ビジネス・マインド」という項目は面白かった。冗談半分に話しのつかみで遺伝子にまで言及しているが、“物事に対する細やかな視点”に関しては、日本人は特別なものを持っているようです。
著者はそれを《対象を外側から眺めるだけではなく、対象の内側へ入っていこうとする意識の動きの強さ》、《対象との同化意識の強さ》とし、日本人特有の資質としている。それは他者を思いやる日本人の美質を生み出しているが、政治や外交の分野においては褒められた特質とは言えない事態をも招きかねないと分析する。
なんとなく分かっていることだけど、それにこういう言葉を当てて説明するって、なかなか難しい。外から見る目を持っているからこそ、より見えてくるものがあるんだろうと感じる。
また、「お陰さまで」なんて言葉を日本人は当たり前に使ってる。あまり、「自分の努力でうまくいってるんだ」なんて鼻高々な人はあまり見かけないし、身近にいたら嫌がられる。かと言ってそれは、「お世話になりましてありがとうございます」って、特定の人への感謝の気持ちというのとも違う。私だったら、「ご縁があって」くらいの言葉で済ましてしまうけど、著者は、「自然力の作用を受けて、それとともに生きてきた自己への自覚」という言葉を当てている。
そういった一般化した言葉に置き換えることによって、一般的分析も可能になるわけだ。
事実上、日本は、世界からうらやましく思われるような社会を築き上げた。それも、人類史に残るような厳しい歴史的体験を近い過去に持ちながらである。その状況に、日本人的特質が関係していないはずがない。にもかかわらず、日本人はそのことに無頓着するぎる。だからこそ、日本をこよなく愛しながら、しかも日本を外から見る目を持った著者のような人物の意見に耳を傾ける価値がある。


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