めんどくせぇことばかり 『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム』 菊地章太
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『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム』 菊地章太

たしかにキリスト教に関してはいくらか馴染みがある。ユダヤ教はその延長線上にチラリチラリと見えていた。でも、イスラム教に関しては、ついに教科書以上の認識はないに等しい。宗教を理解することなしには歴史は理解できない。そう思っているだけに、考えてみれば情けない話。

“どうかな、面白いかな”とかって思って読み始めてみたら、やっぱりイスラム教・・・、イスラームのことは知らないことばかり。“イスラームを知らないってことは、少なくとも、現代社会の成り立ちの半分は理解不能ってことになりかねないんじゃないか”って、そんなことまで考えながら読みました。
 
『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム』 菊地章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム』 菊地章太
(2013/12/04)
菊地 章太

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ユダヤ教とイスラームまで視野に入れれば・・・
第一章  聖戦がはじまる・・・根絶やしという宗教行為
第二章  福祉がはじまる・・・預言者は孤児だった
第三章  続 福祉がはじまる・・・夜明け前のモスクで
第四章  続々 福祉がはじまる・・・苦しみを痛む心
第五章  平等がはじまる・・・キンシャサの奇跡へ
第六章  寛容がはじまる・・・はるかなるアンダルス
第七章  不寛容がはじまる・・・離散の民の心の空洞

“まったく異なる成り立ちを持つ儒教と仏教と道教が、東アジアにおいてはひとつの場で融け合い、境目もなく混ざり合っている。同じ成り立ちを持つユダヤ教とキリスト教とイスラームは、決して混ざり合うことなく場を違えている。そこに三つの宗教の本領がある。”著者はあとがきにこう書いている。一神教だからね。

聖書にも出てくる"聖絶"の様子には反吐が出る。でも、反吐がでそうなことを命じる神のもとで平等の思想が生まれ、福祉の観念が生まれ、寛容の精神が培われた。なぜそれが一宗教の中に同居しうるのか。結論が書いてあるわけじゃなくて、三宗教を比較することで探っていこうという努力が書かれている。

三つの一神教を比較検討するって言われると頭がクラクラしそうだけど、まったくそんなことない。一つ一つの話は具体的な話ばかりでとても分かりやすい。クラクラするような観念論や、重箱の隅から持ってきたような話はない。最終的完成形態?たるイスラム教の話が多いんだけど、知らないことが多くてとても勉強になりました。

ジハード
二〇一一年三月に起きた東日本大震災のあと、宗教法人日本イスラム文化センターにいるムスリムの人々が現地に駆けつけた。福島県いわき市の避難所を毎週のように訪ねて炊きだしを手伝ったという。

筆者の友人は、これはジハードなのだと語った。

ジハードは「信仰のための努力」。もちろん、“信仰のために敵と戦うこと”にもジハードという言葉は使われるけど、こういう場合もある。

    

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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