めんどくせぇことばかり 『もし、日本という国がなかったら』ロジャー・パルバース
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『もし、日本という国がなかったら』ロジャー・パルバース

2012年12月の記事に加筆修正したものです
じっくり読ませてもらいましたが、「おみそれしました」って言うしかありません。本書に掲載されている著者の写真を見ても、見覚えはあるんだけど、「あ~、あの人」っていう感覚はなかった。1967年に、幾つもの偶然“運命?”の果てに来日して以来、井上ひさし初め、文化界の名士と交わり、日本文化に精通、特に宮沢賢治に傾倒する。

この本の所々で著者によって語られる言語を通しての“日本人論”は、まず人生の最初に「日本語」を習得してしまった者には、なかなか気づくことさえ難しいのではないかと思う。海外の人から“日本語は曖昧”と言われ、あんまり言われるから私たち日本人までそう思い込んでいるが、著者は『それはまったく事実に反している』という。日本人は、『失望や嫌悪を表す「もう…」、「そんな!」、「まったく!」』などの、外国人にしてみれば曖昧としかいい用のない言葉を使うが、日本人はその短いセンテンスの選択で、外国人には理解できない微妙な感覚の違いを表現している。『「まったく!」をさらに縮めて「…ったく!」』にすれば、その失望や嫌悪の感情は、微妙に強められる。著者はこれを、日本人の『感情のデザイン』能力と考えるのである。

日本人は北から南へと長くつづく日本列島で、ある意味で恵まれた自然環境、ある意味で最悪の災害列島に向き合って、ずっと途切れのない歴史を刻んできた中で習得した民族性は、世界の中でも特異なものであるという。その著者の洞察力は見事である。そして、そのような歴史過程で形成された日本人の“誠実で正直”な性質は、これからの世界に絶対的に必要であるという。押しつけがましくない、時には他者を優先して自分を消去してしまう日本人は、対立を抱える者たちの手を握らせるためには欠かすことはできないという。

そう言われて自惚れるわけには行かないが、たしかに日本人は世界に貢献できる。いや、かつてもそうだった。お節介が過ぎた面も多々あるが、朝鮮や台湾における日本の立場というのは、本来そういったものだった。

日本人にはなかなか気づきにくい日本のことを、言語と文学を入り口にして鋭く感得する著者の感受性には驚かされるが、ただ残念なのは明治から大東亜戦争期の日本に対する理解である。

『もし、日本という国がなかったら』 ロジャー・パルバース『もし、日本という国がなかったら』 ロジャー・パルバース
(2011/12/15)
ロジャー・パルバース

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明るい未来を作るための鍵は、みなさんの国の文化の中にあるのです
天皇というものも、一八六八年の王政復古で明治天皇が即位するまで、日本という民族国家、つまり、日本の民衆の実質的な統治者であったことは一度もないのです。

ところが、国民は、このようなことが太古の昔からその形態でずっと存在していたかのような話を広められ、信じこまされてきました。言い換えれば、一般の日本人はだまされて、自分たちにアジア太平洋地域の支配者となれと奨励する、神のようなものがずっと存在していたのだと信じてしまったのです。日清戦争の戦勝から数十年が経つと、一九三〇年代の中ごろまでには間違いなくそうなっていたのだけれど、この歴史的な神話捏造に対する、かつては手強い反対勢力だった人たちの声も握りつぶされるようになりました。その結果、どうなったか。ナショナリズムの虚飾でしかないでっち上げられた神話の名の下で、何百万もの人が戦死者、戦傷者となってしまいました。国家神道、武士道、天皇崇拝・・・これらのものは、実在するどんな道徳や倫理にも裏付けられていません。それは自分の地位を高めるために大衆を操ろうとした日本のエリートが、己の強欲さの隠れ蓑として作り出したものに過ぎません。

戦後、国家神道は特権的な地位を剥奪されました。武士道は去勢されました。天皇は平和の象徴に戻りました。日本は再び非宗教的な国家に戻りました。そして、日本人が勤勉に、公共心を発揮して国を再建したのは、このような文脈においてでした。


著者の日本理解は、大変深いものだと思います。しかし、残念ながら、基本的な部分で大きな誤解をしている。

まず、著者の言う戦時中までの“日本人”とその後の“日本人”は、完全につながりを失っている。これを一つにまとめようと思えば、日本人は分裂症であると考えるしかない。このような、けっこう無理矢理な誤解が生じるのは、著者の視点に十九世紀から一九四五年に至る世界史的視野が欠けているからではないかと思われる。西洋のアジア進出と日本、アメリカの支那への野望と日本という視点を失っては、この時期の日本の苦悩はまったく見えなくなる。“国家神道”の創設の原因を一部エリートの強欲さで説明してしまうあたりは、当時と変わらぬ欧米の横暴を感じさせられる。

また、日本は非宗教的な国家でも、国民でもない。おそらく現代アメリカ人に比べても引けをとらない、いや、はるかに宗教的な民族である。もちろん、“国家神道”を拠り所としているわけではない。 天皇という存在自体が“祈る”存在である。“祈られる”対象ではない。私たち国民もともに祈るのだ。その真摯な想いは、世界の中で際立って宗教的かも。

この点、極めて根本的な問題なので、著者の誤解は残念である。著者がアメリカの戦争である“ベトナム戦争”を忌避したことと関係があるのかもしれない。“戦争”とリアルに向かい合って来なかったことが原因かもしれない。著者の洞察力を考えれば、その部分だけがあまりにも“稚拙”に感じられるのだ。それでも、著者の日本理解と提言には的を射たものが多くあり、敬意を表するとともに、多くの人がこの本を読んでくれることを望む気持ちに変わりはない。


    

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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