『442部隊の真実』 武知鎮典
二〇一二年九月の記事に加筆修正したものです。
という前触れとともにこの物語は始まる。
一九二四年の移民法は、排日移民法ともよばれる。それ以前から、一九〇六年サンフランシスコの日本人学童隔離問題、一九一三年カリフォルニアの外国人土地法による土地所有の禁止など、日系人排斥への動きは強められていた。この間、日本は紳士協定による自主規制などを行ったが、日本人への偏った感情に訴える力とはならなかった。
移民法で、「帰化不能外国人の移民全面禁止」が定められたことにより、。「帰化不能外国人種」でありながらこの当時移民を行っていたのは大部分日本人だったため、移民法は‘排日移民法’と呼ばれることになった。クーリッジ大統領は当初、「この法案は特に日本人に対する排斥をはらんでいるものであり、それについて遺憾に思う」という声明を出した。排日移民法は当時の日本人の体面を傷つけ、反米感情を産みだした。この反米感情は後のアメリカとの戦争の遠因となったことは、昭和天皇もおっしゃられているところである。
一九四一年一二月八日、そんな状況下に日本はハワイ真珠湾奇襲攻撃を敢行する。日系アメリカ人たちの、それまで以上の苦難の日々と、この物語の本筋も、ここから始まる。
薩摩武士を祖父に持つハワイの歯科医、同時に剣術指南新道館を主催するカツミ・クラタニ。道場生のミツル・アイバとシゲル・タカムラ。わずかに年少のケン・ウエハラは弟分。日系人は、期せずして始まった大東亜戦争で、アメリカの偏見にさらされた。四人は、いや、若き日系人の多くが、日系人の名誉を回復するためにヨーロッパの戦線に身を投じた。
マージョ山地攻防戦、モンテ・カッシーノ、ブリエラ制圧戦、テキサス大隊救出戦、ドイツ軍要衝アウッラ攻防戦。
祖国日本に“見捨てられた”彼らは、眼前の敵ドイツ兵と闘いながら、同時にアメリカの偏見とも戦っていた。最悪の戦場を転戦し、つねに敵を退けた彼らは、いつしか“最強の軍団”と呼ばれるようになる。しかしそれは、多くの若き日系兵の血の犠牲を代償としていた。
『俺達をジャップと呼ぶな! 肌の色なんて関係ない! 俺達はアメリカ人なんだ!』
彼らの戦いは、日本兵の戦いそのものであると感じた。彼らは自らの“大義”のためには、自分の命さえ惜しまなかった。日本兵以上に、武士、そのものである。“日本人”は、移民してアメリカ人になった彼らのなかにこそ、より濃厚に保存されたかのようだ。
トルーマン大統領は、彼らを前にこう語った。
『諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、勝ったのだ!』 日系アメリカ人を使いたい放題使っといてその言い草はないだろう。しかも、問題なのはその偏見だ。トルーマンは日本人に対する強い偏見ゆえに、広島、長崎を焼き払うことをためらわなかったんだろう。トルーマンの言葉と思えば、それはまったく空疎でしかないが、日系人たちはこうして本物のアメリカ人になったいったわけだな。誇りに思うよ。韓国系なんちゃってアメリカ人や支那系なんちゃってアメリカ人見てるとさ。






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本作品は、事実を取材して作られたフィクションである。作品中に登場する人物、団体・組織、地名および出来事には虚構が含まれている。ただし、日系二世アメリカ人によって編成された、アメリカ陸軍第一〇〇歩兵大隊ならびに第四四二歩兵連隊戦闘団は実在するもので、彼らが第二次大戦において数々の激戦を戦い抜いたことは、まったき歴史的事実である。彼ら第四四二歩兵連隊戦闘団の勇気をたたえるとともに、人類が二度とこのような戦争という惨事を引き起こさないことを願って。 |
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一九二四年の移民法は、排日移民法ともよばれる。それ以前から、一九〇六年サンフランシスコの日本人学童隔離問題、一九一三年カリフォルニアの外国人土地法による土地所有の禁止など、日系人排斥への動きは強められていた。この間、日本は紳士協定による自主規制などを行ったが、日本人への偏った感情に訴える力とはならなかった。
移民法で、「帰化不能外国人の移民全面禁止」が定められたことにより、。「帰化不能外国人種」でありながらこの当時移民を行っていたのは大部分日本人だったため、移民法は‘排日移民法’と呼ばれることになった。クーリッジ大統領は当初、「この法案は特に日本人に対する排斥をはらんでいるものであり、それについて遺憾に思う」という声明を出した。排日移民法は当時の日本人の体面を傷つけ、反米感情を産みだした。この反米感情は後のアメリカとの戦争の遠因となったことは、昭和天皇もおっしゃられているところである。
一九四一年一二月八日、そんな状況下に日本はハワイ真珠湾奇襲攻撃を敢行する。日系アメリカ人たちの、それまで以上の苦難の日々と、この物語の本筋も、ここから始まる。
薩摩武士を祖父に持つハワイの歯科医、同時に剣術指南新道館を主催するカツミ・クラタニ。道場生のミツル・アイバとシゲル・タカムラ。わずかに年少のケン・ウエハラは弟分。日系人は、期せずして始まった大東亜戦争で、アメリカの偏見にさらされた。四人は、いや、若き日系人の多くが、日系人の名誉を回復するためにヨーロッパの戦線に身を投じた。
マージョ山地攻防戦、モンテ・カッシーノ、ブリエラ制圧戦、テキサス大隊救出戦、ドイツ軍要衝アウッラ攻防戦。
祖国日本に“見捨てられた”彼らは、眼前の敵ドイツ兵と闘いながら、同時にアメリカの偏見とも戦っていた。最悪の戦場を転戦し、つねに敵を退けた彼らは、いつしか“最強の軍団”と呼ばれるようになる。しかしそれは、多くの若き日系兵の血の犠牲を代償としていた。
『俺達をジャップと呼ぶな! 肌の色なんて関係ない! 俺達はアメリカ人なんだ!』
彼らの戦いは、日本兵の戦いそのものであると感じた。彼らは自らの“大義”のためには、自分の命さえ惜しまなかった。日本兵以上に、武士、そのものである。“日本人”は、移民してアメリカ人になった彼らのなかにこそ、より濃厚に保存されたかのようだ。
トルーマン大統領は、彼らを前にこう語った。
『諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、勝ったのだ!』 日系アメリカ人を使いたい放題使っといてその言い草はないだろう。しかも、問題なのはその偏見だ。トルーマンは日本人に対する強い偏見ゆえに、広島、長崎を焼き払うことをためらわなかったんだろう。トルーマンの言葉と思えば、それはまったく空疎でしかないが、日系人たちはこうして本物のアメリカ人になったいったわけだな。誇りに思うよ。韓国系なんちゃってアメリカ人や支那系なんちゃってアメリカ人見てるとさ。


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