内田樹(覚書)『一神教と国家』 内田樹・中田考
本書に書かれていたこと。重要なことの割にはあまり知られてないこと。
ここでは、“一神教の風土”という項目の中の、日本とユダヤの意外なつながりとしてこの話が紹介されているにすぎないんだけど、このかかわりは強烈だよね。強烈であるがゆえに、その後の日本にユダヤに対する親近感と、戦争を金で左右できるだけの力への脅威が植えつけられた。
強烈な印象はともかく、この関係を大事にするべきだった。高橋是清は二・二六事件で殺されちゃうし、もし生きてりゃなぁ。ユダヤとの関係を対米関係に生かせたかもしれないのになぁ。ヨーロッパでいじめ抜かれたユダヤ人を満州に迎えられないかなんていう話もあったらしい。
この本を読んで一番のショックはこの部分かなぁ。イメージとしては捉えていたんだけど、言葉では捕捉していなかったので、上記の言葉に触れてショックだった。
アメリカはもちろん、ヨーロッパ諸国も為政者は当然のように宗教を引きずったまま政治に臨んでいる。宗教も政治に関わってくる。宗教上の理念が政治に反映されることも少なくない。特に、戦争にその理念が反映されるとむごたらしい。
日本はGHQの受け売りで“政教分離”を戦後の旗印の一つとした。マッカーサーあたりには、自分の掲げる正義がそもそも宗教の持ち込みなんてわかっちゃいないから、自分を顧みもせず人に押し付けることができる。そんなことで、左翼勢力と一緒になって行われたのが皇統の弱体化だ。だいたい、「国家」と「教会」の分離くらいなら、日本でも信長によって達成されている。GHQの持ち込んだ“政教分離”というのは、日本の伝統的精神を破壊することを目的としたものだ。
一切の宗教色を政治から排除しようなんていうのは本質的に不可能と言うか、「宗教色を排除した政治」という言葉そのものが成立しない。宗教「勢力」には政治に関わらせないということで、“政教分離”という言葉を真に受けて、それに縛られている日本の方が不自然。
内田氏の意見、私には賛同できない部分が色濃くある。でも、考え方そのものは受け入れられる。憲法改正についての意見もそう。『9条どうでしょう』という本の中で、内田氏はこう言っている。
よく分かる、言ってること。そのとおりだと思う。でも、それを理由に「憲法がこのままで何か問題でも?」って言われた日には、私の“生身の身体感覚”が拒絶反応を起こす。武道家の内田氏には釈迦に説法になるけど、“危ない❢”っていうのは理屈じゃなくて感覚。この“危ない❢”って感じ、決して安部首相に言われたからって感覚じゃない。内田氏の発言は、その多くが“生身の身体感覚”からくるグローバル化への拒否感に発していると思う。感銘することが多い。しかし、ここでは、私と内田氏の感覚は衝突する。
それでも私は、内田氏の“言葉”を頼りにしている。次は、英語教育に関わる内田氏のご意見。
どうです?小気味いいでしょ。







一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
一九〇〇年頃、ニューヨークにジェイコブ・シフというドイツ系ユダヤ人の銀行家がいた。当時、米財界に君臨した大物だった。彼はロシアで行われていたポグロムを憎み、ロシア皇帝を恨んだ。当時、ロシアとの開戦に備えて軍事公債の引受手を探していた高橋是清と会ったことを奇貨として、日本を財政的に支援して帝政ロシアを打倒しようと考えた。彼は国際ユダヤ資本に指示して日本が起債した戦時公債を買い取った。同時に、ロシアの戦時公債の買い取りを拒否させた。シフと世界のユダヤ人の金融ネットワークの支援で合計二億ドルの戦費を調達できたことで、日本は日露戦争に勝つことができた。戦後、シフは日本に呼ばれて、明治天皇に拝謁して勲一等旭日大綬章という勲章をもらった。 |
強烈な印象はともかく、この関係を大事にするべきだった。高橋是清は二・二六事件で殺されちゃうし、もし生きてりゃなぁ。ユダヤとの関係を対米関係に生かせたかもしれないのになぁ。ヨーロッパでいじめ抜かれたユダヤ人を満州に迎えられないかなんていう話もあったらしい。
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ウェストファリア以来の、欧米における政教分離の原点は、「世俗」と「宗教」の分離ではなく、「国家」と「教会」の分離だった。 |
アメリカはもちろん、ヨーロッパ諸国も為政者は当然のように宗教を引きずったまま政治に臨んでいる。宗教も政治に関わってくる。宗教上の理念が政治に反映されることも少なくない。特に、戦争にその理念が反映されるとむごたらしい。
日本はGHQの受け売りで“政教分離”を戦後の旗印の一つとした。マッカーサーあたりには、自分の掲げる正義がそもそも宗教の持ち込みなんてわかっちゃいないから、自分を顧みもせず人に押し付けることができる。そんなことで、左翼勢力と一緒になって行われたのが皇統の弱体化だ。だいたい、「国家」と「教会」の分離くらいなら、日本でも信長によって達成されている。GHQの持ち込んだ“政教分離”というのは、日本の伝統的精神を破壊することを目的としたものだ。
一切の宗教色を政治から排除しようなんていうのは本質的に不可能と言うか、「宗教色を排除した政治」という言葉そのものが成立しない。宗教「勢力」には政治に関わらせないということで、“政教分離”という言葉を真に受けて、それに縛られている日本の方が不自然。
内田氏の意見、私には賛同できない部分が色濃くある。でも、考え方そのものは受け入れられる。憲法改正についての意見もそう。『9条どうでしょう』という本の中で、内田氏はこう言っている。
それでも私は、内田氏の“言葉”を頼りにしている。次は、英語教育に関わる内田氏のご意見。
たしかに、日本の英語教育はダメなんです。でもね、それは教育目的が「卑しい」からなんです。英語ができないと「金にならない」という発想そのものが子供たちの学習意欲を根本的なところで腐らせている。そのことに誰も気づいていない。だって、企業が求める「グローバル人材」って要するに企業の収益を増やす人材のことですからね。 |


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