邪馬台国までの距離(覚書)『日本とは何か』 岡田英弘著作集第3巻
史料批判といえば、レオポルド・フォン・ランケ。ランケ以前の歴史研究者を歴史家、ランケ以後の歴史研究者を歴史学者と呼ぶとか・・・。歴史家以前の私は、せめて岡田英弘著作集を一生懸命読もう❢
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『日本書紀』は、7世紀の日本の建国を正当化するために書かれたものとして読む。日本という統一国家には古い伝統があり、紀元前7世紀に支那とも韓半島とも関係なしに、まったく独自に日本列島を領土として成立し、それ以来、つねに万世一系の日本天皇によって統治されてきた、という粉飾に惑わされずに読む。 |
『史記』はじめ支那の正史は、支那は黄帝以来漢人の天下であり、常に正統の帝王によって統治されてきたという立場で書かれたものとして読む。本来支那の起源は紀元前221年、秦の始皇帝の統一による。でも史記を枠組みとした支那の歴史は、5千年の歴史を持つ不変の文明であり、ときおり北方の野蛮人に征服されることがあっても、たちまち征服者を同化してしまうという中華思想の歴史観に惑わされずに読む。 |
現存する最古の韓半島の歴史は、高麗王朝時代の1145年に書かれた『三国史記』で、高麗王朝は韓半島をはじめて統一した新羅を引き継いだ正統な王朝であることを主張するために書かれた。唐が百済を滅ぼしたのが660年。これ以前の韓半島は支那文明の地方版であり、日本列島も基本的には同様である。だから、日本の建国を知ろうとするとき、『三国史記』は何の参考にもならない。 |
『魏志倭人伝』は、『魏書』『呉書』『蜀書』からなる『三国志』の中の『魏書』全三十巻のうちの第三十巻にある「烏丸・鮮卑・東夷伝」の後半を占める「東夷伝」のうちの倭人に関しての記事を言う。
書いたのは陳寿は、もと蜀の官吏。才能を持ちながらも埋もれるが、晋の初代皇帝司馬炎の父司馬昭の秘書官から力を伸ばした張華に見出される。司馬氏の隆盛を決定づけた司馬懿は、「死せる孔明生ける仲達を走らす」の司馬懿仲達。諸葛孔明の防衛の心配がなくなると、今度は東北方面にまわされ公孫淵軍閥征伐に成功を収め、この地方を勢力基盤とする。その総仕上げが、卑弥呼を女王とする倭の朝貢である。
司馬懿の政敵曹真は西北方面を担当して成功を収め、229年、大月支国を朝貢させた。大月支国(=クシャン帝国)はヴァースデーヴァは親魏大月氏王に封ぜられた。司馬懿は卑弥呼に「親魏倭王」の金印紫綬を与えさせることで、自分の功績を曹真の功績に相対化させた。
“倭人伝”にある邪馬台国の位置が問題になって長い。距離をまとめると、帯方郡から邪馬台国までが一万二千余里。帯方郡をソウルあたりとすると、帯方郡から楽浪郡までが五百五十里。楽浪郡から洛陽までが五千里。合わせると、邪馬台国と洛陽の距離は「万七千五百五十里」。『続漢書』には大月支国の都と洛陽の距離を「万六千三百七十里」とある。みごとに相対化されている。


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