『日の丸 日本を知るための50景』
帯に、“国旗国歌法施行15周年”とある。
1854年、江戸幕府がこれを日本の船印に決める。以来150年、その激動の節目節目で日の丸は日本人とともにあった。
私がこの旗を呪いながら過ごしたのはどれくらいの期間だったろうか。10年はくだらないが、20年には届かないというところか。まったくなぁ。でも、まったく無益な時期を過ごしたとは思わない。おそらく私にはその時期が必要だったんだろう。
私が戻って来られたのは、間違いなく、父や母ら、すでになくなった家族たちのおかげ。なんか最近は、日の丸を見るたびに父母、祖父母を思い出す。
国旗国歌を意識することを忌避する人たち、国民であることを忌避する人たちがいる。おりからのグローバル化とこんがらがってややこしいが、“市民”を標榜する彼らは元左翼。本質が露呈してしまっては社会主義者を名のることもできず、土俵際で一枚だけ指に絡んだ相手のまわしが“反日”だったか?・・・自らが煽った支那、韓国の呆れ果てる動きに、ちょっと足がもつれ気味かな。
“愛国・愛国”と騒がれるのもうっとうしい。自分が生まれ育った国、嫌いな奴はいないよ。日本の“反日”は、敗戦の特殊事情が生み出した鬼っ子。鬼っ子対策をみんなに施してどうする。
親、家族、地域、学校、社会が、みんなで子どもを育てていける社会背景さえ整えれば、それ以上のことはいらない。旗日、それぞれの玄関先に日の丸がはためく街角、走り回る子ども。・・・






一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
1854年、江戸幕府がこれを日本の船印に決める。以来150年、その激動の節目節目で日の丸は日本人とともにあった。
![]() | 『日の丸 日本を知るための50景』 (2014/04/10) 紙ヒコーキ舎 編著 商品詳細を見る 写真が語る、日本人と日の丸150年の記憶 |
私がこの旗を呪いながら過ごしたのはどれくらいの期間だったろうか。10年はくだらないが、20年には届かないというところか。まったくなぁ。でも、まったく無益な時期を過ごしたとは思わない。おそらく私にはその時期が必要だったんだろう。
私が戻って来られたのは、間違いなく、父や母ら、すでになくなった家族たちのおかげ。なんか最近は、日の丸を見るたびに父母、祖父母を思い出す。
さて、150年間の物語を語る50の写真の中で、最も気になるの写真は、やはりこれ❢ 涙がでる。 一本の小旗すらないのに、最も日の丸を感じさせる。 | ![]() |
国旗国歌を意識することを忌避する人たち、国民であることを忌避する人たちがいる。おりからのグローバル化とこんがらがってややこしいが、“市民”を標榜する彼らは元左翼。本質が露呈してしまっては社会主義者を名のることもできず、土俵際で一枚だけ指に絡んだ相手のまわしが“反日”だったか?・・・自らが煽った支那、韓国の呆れ果てる動きに、ちょっと足がもつれ気味かな。
“愛国・愛国”と騒がれるのもうっとうしい。自分が生まれ育った国、嫌いな奴はいないよ。日本の“反日”は、敗戦の特殊事情が生み出した鬼っ子。鬼っ子対策をみんなに施してどうする。
親、家族、地域、学校、社会が、みんなで子どもを育てていける社会背景さえ整えれば、それ以上のことはいらない。旗日、それぞれの玄関先に日の丸がはためく街角、走り回る子ども。・・・


- 関連記事
-
- 『昭和天皇 第七部 独立回復(完結篇)』 福田和也 (2014/05/22)
- 日本の外交方針(覚書)『保守の心得』 倉山満 (2014/05/15)
- 『日の丸 日本を知るための50景』 (2014/05/14)
- 『保守の心得』 倉山満 (2014/05/13)
- 『人類を幸せにする国・日本』 井沢元彦 (2014/05/11)