朴槿恵の評価(覚書)『日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の「心の闇」』
呉善花さんは、最初から警告していた。「朴槿恵に期待してはいけない」と。
・・・にも関わらず、私は期待してしまった。世の論調が朴槿恵に失望してからも「朴槿恵を見くびるべきではない」と、朴槿恵への期待をやめなかった。でも、さすがに諦めた。諦めざるをえない、ここまでひどくては。
私が朴槿恵に期待したのは、彼女が1952年生まれの62歳で韓国大統領としては新世代であること。強引な手法で韓国経済を引っ張りあげた朴正煕の娘であること。そして何よりも、まずは母を、そして父をも殺されたにもかかわらず、同じ政治の世界を志し、艱難辛苦の果てに大統領の地位についたこと。私は、強靭な精神に裏打ちされた冷徹な現実主義的政治家の姿を、胸の中に育て上げてしまった。
いま考えれば、父親の朴正煕の存在があまりにも大きかったということだろう。朴正煕が暗殺されたのは1979年。私は大学2年だった。学内で付き合いのあった朝文研の連中からは、朴正煕はまさしく悪魔として認識されていた。同時代に発行された李恢成の『見果てぬ夢』は、朴正煕軍事政権時代の民主化運動を描いており、むさぼるように読んだ。
併合時代、朴正煕は日本の教育を受けて、日本軍の軍人となった。独立後、朝鮮戦争を経て、世界の最貧国の地位を続ける韓国で、軍事クーデターを起こして政権を掌握した。政権を握った彼は、強引な手法で韓国経済を引き上げた。その際、“日本”を最大限利用した。卑怯なまでに利用した。 彼は知日派ではあったが、親日派ではない。
朴槿恵に、“親日”を期待したわけではない。ただ、金大中や盧武鉉や李明博のような馬鹿なことをやってほしくなかっただけだ。父親のように日本を利用してもらいたかった。日本も韓国を利用する。そういう関係が築ける大統領であって欲しかった。
しかし、呉善花さんが言うとおり、遅ればせながらだが、朴槿恵には期待できないとようやく気づいた。でもさ。皆さんは、朴槿恵が最後の望みの綱じゃなかった?彼女を諦めることは韓国を諦めるに等しかったものだから・・・。だからこそ朴槿恵を諦めるのが遅れた。







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・・・にも関わらず、私は期待してしまった。世の論調が朴槿恵に失望してからも「朴槿恵を見くびるべきではない」と、朴槿恵への期待をやめなかった。でも、さすがに諦めた。諦めざるをえない、ここまでひどくては。
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いま考えれば、父親の朴正煕の存在があまりにも大きかったということだろう。朴正煕が暗殺されたのは1979年。私は大学2年だった。学内で付き合いのあった朝文研の連中からは、朴正煕はまさしく悪魔として認識されていた。同時代に発行された李恢成の『見果てぬ夢』は、朴正煕軍事政権時代の民主化運動を描いており、むさぼるように読んだ。
併合時代、朴正煕は日本の教育を受けて、日本軍の軍人となった。独立後、朝鮮戦争を経て、世界の最貧国の地位を続ける韓国で、軍事クーデターを起こして政権を掌握した。政権を握った彼は、強引な手法で韓国経済を引き上げた。その際、“日本”を最大限利用した。卑怯なまでに利用した。 彼は知日派ではあったが、親日派ではない。
朴槿恵に、“親日”を期待したわけではない。ただ、金大中や盧武鉉や李明博のような馬鹿なことをやってほしくなかっただけだ。父親のように日本を利用してもらいたかった。日本も韓国を利用する。そういう関係が築ける大統領であって欲しかった。
しかし、呉善花さんが言うとおり、遅ればせながらだが、朴槿恵には期待できないとようやく気づいた。でもさ。皆さんは、朴槿恵が最後の望みの綱じゃなかった?彼女を諦めることは韓国を諦めるに等しかったものだから・・・。だからこそ朴槿恵を諦めるのが遅れた。


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