ベトナム人は支那人が嫌い
中国が石油掘削装置を南シナ海に設置したことに端を発するベトナムの反支那でもが過激化している。デモは暴徒化し、ベトナムに暮らす支那人への攻撃が激化しているらしい。
激しさ増すベトナムの反中運動、現地中国人はカンボジアへ避難、同国でもデモの可能性
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=88125&type=0
ベトナムの製鉄所で暴動、中国人1人死亡 100人負傷
http://www.afpbb.com/articles/-/3014999
フランスのナポレオン三世は、一八五六年、宣教師殺害を名目にしてインドシナ出兵を行い、一八六二年にはベトナム南部を植民地化した。さらに、一八八三年にフランスがベトナムを保護国化したことに対して、宗主国の清との間に戦われたのが清仏戦争である。
清は、結局ベトナムをフランスに奪われた。折から朝鮮で発生した甲申政変への対応のため、フランスとの和睦を急いだのである。清にとっては、すでにフランスに奪われているベトナムに関わることよりも、朝鮮を日本に奪われないことが重要だった。
そのベトナム、フランス領インドシナに進駐した日本軍の前に無様を晒したフランスの最植民地化に、ベトナムは抵抗した。その時ベトナムは、旧宗主国の支那ではなく、その向こうのソ連に支援を求めた。腹いせに支那は、ベトナムの隣に親毛沢東のポルポトを育てる。
カンボジア内戦を通して政権を握ったポル・ポトは、毛沢東のやり方を真似して、国内の知識層を殺しまくった。後半は理由さえなく、国民を恐怖によって支配するために、ただ殺しまくった。カンボジアはもともと反ベトナム意識が強く、ポルポトはベトナム領に侵攻して、そこの住民まで殺しまくった。
一九七九年、亡命カンボジア人を混じえたベトナム軍がプノンペンを陥落させると、その報復として支那がベトナムに軍を進めた。こうして中越戦争が始まる。しかし、独立を目指してフランス軍、アメリカ軍と闘いぬいたベトナム軍は、強かった。支那はあっけなく敗れ、軍を撤退させる。
支那が嫌われるのもよくわかる。ベトナムにしてみりゃ支那海警の体当たりは宣戦布告に等しい行為だろう。どう見たって、支那からケンカをふっかけてるようにしか思えない。
それにしても支那は、アヘン戦争以来、一度も戦争に勝ってないんだな。もしかしてベトナムは、軍備を増強した支那に、とりあえずの手頃な相手として選ばれた可能性もある。ベトナム民衆の狂気の沙汰は、そんな危機感を微妙に感じ取ってのことかも知れない。







一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
激しさ増すベトナムの反中運動、現地中国人はカンボジアへ避難、同国でもデモの可能性
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=88125&type=0
ベトナムの製鉄所で暴動、中国人1人死亡 100人負傷
http://www.afpbb.com/articles/-/3014999
フランスのナポレオン三世は、一八五六年、宣教師殺害を名目にしてインドシナ出兵を行い、一八六二年にはベトナム南部を植民地化した。さらに、一八八三年にフランスがベトナムを保護国化したことに対して、宗主国の清との間に戦われたのが清仏戦争である。
清は、結局ベトナムをフランスに奪われた。折から朝鮮で発生した甲申政変への対応のため、フランスとの和睦を急いだのである。清にとっては、すでにフランスに奪われているベトナムに関わることよりも、朝鮮を日本に奪われないことが重要だった。
そのベトナム、フランス領インドシナに進駐した日本軍の前に無様を晒したフランスの最植民地化に、ベトナムは抵抗した。その時ベトナムは、旧宗主国の支那ではなく、その向こうのソ連に支援を求めた。腹いせに支那は、ベトナムの隣に親毛沢東のポルポトを育てる。
カンボジア内戦を通して政権を握ったポル・ポトは、毛沢東のやり方を真似して、国内の知識層を殺しまくった。後半は理由さえなく、国民を恐怖によって支配するために、ただ殺しまくった。カンボジアはもともと反ベトナム意識が強く、ポルポトはベトナム領に侵攻して、そこの住民まで殺しまくった。
一九七九年、亡命カンボジア人を混じえたベトナム軍がプノンペンを陥落させると、その報復として支那がベトナムに軍を進めた。こうして中越戦争が始まる。しかし、独立を目指してフランス軍、アメリカ軍と闘いぬいたベトナム軍は、強かった。支那はあっけなく敗れ、軍を撤退させる。
支那が嫌われるのもよくわかる。ベトナムにしてみりゃ支那海警の体当たりは宣戦布告に等しい行為だろう。どう見たって、支那からケンカをふっかけてるようにしか思えない。
それにしても支那は、アヘン戦争以来、一度も戦争に勝ってないんだな。もしかしてベトナムは、軍備を増強した支那に、とりあえずの手頃な相手として選ばれた可能性もある。ベトナム民衆の狂気の沙汰は、そんな危機感を微妙に感じ取ってのことかも知れない。

