引き揚げと女性
「韓国人女性が従軍慰安婦として日本軍兵士に慰みものにされた」
かつて日本人によってさらわれ無理やり従軍慰安婦にされたと、ありもしないことをあったかのように勘違いして名乗り出る年配の韓国人女性。声高に叫ぶ韓国人。
これが文化の違いというものか。
未曾有の敵地からの“引き揚げ”のなか、多くの日本人女性が悲しい思いをした。ロシア人に、朝鮮人に、韓国人に、アメリカ人によって。・・・しかし、いくつかの例外を除き、日本人は沈黙した。その理由は様々だろうが、・・・沈黙した。
韓国人は朝日新聞の捏造に乗じて声高に、“犯された、犯された”と騒ぎ立てるが、日本人には「今」を守るための沈黙が了解だった。
でも、日本人の沈黙を、犯った連中が利用しようとしている。プーチンであり、ブッシュであり、習近平であり、金正恩であり、朴槿恵だ。
敵地から六六〇万人が引き揚げるということが、どういうことか。馬鹿じゃなきゃ容易に想像がつく。
まったくソ連兵ってのはひどかった。ドイツもだいぶひどくやられたらしいね。ところがだ。ところが、いくつかの本を読むと、そのソ連兵よりも、朝鮮人のほうがたちが悪かったらしい。・・・ソ連兵よりも悪いって・・・、想像を絶する。
ヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんの『竹林はるか遠く』を紹介したとき、以下のようにまとめている。もう一度、同じ言葉でまとめる。
多くの日本人が悲しい記憶を胸にしまい込み、“戦後”と呼ばれる時代を必死に生きてきた。生きてきてくれただけでありがたい。黙って生きて来た人は、今さら言う必要なんかない。日本人は韓国人とは違うからね。
それでも、私たち日本人は“おもんばかる”。ソ連兵や朝鮮人に殺された日本人のことも、ソ連兵や朝鮮人にひどい目にあわされた日本人のことも、誰も何も語らなくても、“おもんばかる”。終戦時、海外に残された日本人は六六〇万人。祖国の土を踏めなかった人も多い。戦時中の、他の出来事も含めて、こんなにも近い歴史の中に、日本人はこれだけの悲劇を持っている。それなのに、“おもんばかる”ことが及ばないことも、まだまだ多い。






一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
かつて日本人によってさらわれ無理やり従軍慰安婦にされたと、ありもしないことをあったかのように勘違いして名乗り出る年配の韓国人女性。声高に叫ぶ韓国人。
これが文化の違いというものか。
未曾有の敵地からの“引き揚げ”のなか、多くの日本人女性が悲しい思いをした。ロシア人に、朝鮮人に、韓国人に、アメリカ人によって。・・・しかし、いくつかの例外を除き、日本人は沈黙した。その理由は様々だろうが、・・・沈黙した。
韓国人は朝日新聞の捏造に乗じて声高に、“犯された、犯された”と騒ぎ立てるが、日本人には「今」を守るための沈黙が了解だった。
でも、日本人の沈黙を、犯った連中が利用しようとしている。プーチンであり、ブッシュであり、習近平であり、金正恩であり、朴槿恵だ。
敵地から六六〇万人が引き揚げるということが、どういうことか。馬鹿じゃなきゃ容易に想像がつく。
「歴史改ざんを阻止」とプーチン大統領、中国・ロシアが“反米反日”共同戦線を結成 http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=88568&type=0 |
〇八一五厚生大臣、戦災援護に関する放送を私にせよとの話、承諾す。但し厚生省の仕事の滞るのを云いわけするのではつまらぬ、之を機会に愈しつかりやることにしたいと話す。 北朝鮮に侵入せる「ソ」兵は白昼街道にて通行中の婦女を犯す。汽車の通らぬため歩いて来る途中、一日数度強姦せらる。二人の娘を伴ふ老婦人はかくして上娘は妊娠、下の娘は性病に罹る。元山か清津にては慰安婦を提供を強ひられ人数不足せるを籤引にて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。強要せられ自殺せるものも少からず。男女は別にせられ男は労働せしめらる。知事其他の高官も道路清掃等をさせられつつあり。幼児の死亡するも少からず。満州より南下する列車も殆んど平壌に止められ悲惨な光景を呈しありと。その他の地はおして知るべきなり。 |
ヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんの『竹林はるか遠く』を紹介したとき、以下のようにまとめている。もう一度、同じ言葉でまとめる。
多くの日本人が悲しい記憶を胸にしまい込み、“戦後”と呼ばれる時代を必死に生きてきた。生きてきてくれただけでありがたい。黙って生きて来た人は、今さら言う必要なんかない。日本人は韓国人とは違うからね。
それでも、私たち日本人は“おもんばかる”。ソ連兵や朝鮮人に殺された日本人のことも、ソ連兵や朝鮮人にひどい目にあわされた日本人のことも、誰も何も語らなくても、“おもんばかる”。終戦時、海外に残された日本人は六六〇万人。祖国の土を踏めなかった人も多い。戦時中の、他の出来事も含めて、こんなにも近い歴史の中に、日本人はこれだけの悲劇を持っている。それなのに、“おもんばかる”ことが及ばないことも、まだまだ多い。

