マグナ・カルタ(覚書)『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上』 塩野七生
一二一四年、現ベルギーのブーヴィーヌ平原で、フランス王フィリップ二世とイギリス王ジョンとドイツ皇帝オットーの同盟軍が戦う。この戦いはフランス側の勝利で終わった。 敗れたジョンはイギリスに逃げ帰り、フィリップ二世は宿願であったノルマンディー地方からのイギリス勢の一掃を果たした。フランスと同盟関係にあったフリードリヒ二世は、参戦はしなかったものの勝者の一人となり、敗走後にオットーの荷物の中にあった皇帝冠はフランス王からフリードリヒに贈られた。 イギリスに逃げ帰ったジョンを待っていたのは、今にも爆発しそうなイギリス国民の不満だった。フランス王との戦費だからと高額な税に我慢していた彼らだが、負けて帰った以上、もうこんな王に忠誠を尽くす必要はないと、不服従をジョンに突きつけた。誰よりも先に忠誠の継続を拒否したのは、ノルマンディー地方に領地を持っていた諸侯だった。 「マグナ・カルタ」は、一二一五年に調印された。ジョンは、王権の縮小と諸侯の権利拡大を明記した「マグナ・カルタ」に調印せざるを得なかった。 「マグナ・カルタ」は歴史上では、市民の権利を支配者に認めさせた記念すべき成果、とされている。イギリスでは、デモクラシーへの第一歩とされている。しかし真相は、こうも能力の劣る人物をトップにいだきつづけていたのでは自分たちの将来は真っ暗だ、という危機感だった。 この中で当時のイギリス国民が最も重視したのは、“王といえども諸侯の同意がないかぎり、税金をあげることも新税を立ち上げることもできない”と明記した条項であった。 |
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「マグナ・カルタ」っていう言葉の響きにインパクトがある。やはり、世界史の授業の中では、“デモクラシーへの最初の一歩”と認識した。しかし、それが、「能力の低い王をいただいていたのでは自分たちはどうなるかわからない。あんな王に好きなようにはさせておけない」という、諸侯の切実な思いであったことはわかっていなかった。なんとなく、失意の王に、もともと対立していた諸侯がかさにかかったのかなって思ってた。いただく王の能力が、諸侯の死活に関わるのは当然なのにね。
「失地王」と呼ばれるジョン。おそらく、一世と呼ばれることは未来永劫ないであろうジョン。やはり、それにはそれだけのことがあったということだな。


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