異端裁判(覚書)『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上』 塩野七生
異端裁判は、ヨーロッパの中世から近世を通じてのキリスト教会の、最大の汚点であったと言っていい。これに比べれば、十字軍遠征などかわいいものである。動機がどうであろうと他人の国に押しかけるのは褒められたことではないが、十字軍に参加した人の多くは遠征先での死という代償は支払ったのである。 反対に異端裁判の当事者たちは、安全な場所に見をおきながら、多くの人々を次々と残酷な運命に追いやることをやめなかった。自分たちこそが、神の喜ばれる聖なる業務を遂行していると固く信じながら。そして、腐敗した人間に対しては、非人道的で無神経で残酷に対処するのは当然と信じながら。 狂信の一言で片付けるには、あまりにも哀しい。ヨーロッパ史にとっては恥ずべきで憎むべき風潮であった異端裁判は、一二三二年、教皇グレゴリウス九世か設立したことからスタートしたのである。それも、皇帝フリードリヒ二世を異端と断じたのではなく、異端の恐れあり、という六〇歳の老人の被害妄想から始まったのであった。 異端裁判所がスタートした一二三二年から数えて七六八年が過ぎた西暦二〇〇〇年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、長年にわたってキリスト教会が犯してきた罪のいくつかを、世界に向かって公式に謝罪した。そこに挙げられた項目の一つが異端裁判であった。 |
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中世と呼ばれる時代、西ヨーロッパの精神世界は完全にキリスト教に握られた。世俗支配層もそれを歓迎した。精神世界を一色に統一されたものを支配するのは、あまりにもたやすいことだからだ。教会組織が、決して“キレイ事”では済まないことをわかっていながら、世俗支配層はそれを利用したのだろう。そしていつの間にか、ミイラ取りがミイラになって、自らの精神も、教会に抑えこまれていったのだろう。
神を、そして聖書に書かれたことをどう解釈するか、つまり解釈権を完全に掌握したローマ教会は、だからやりたい放題ってわけだ。もちろんみんながみんな、そんな悪意を持って、やりたい放題やったと言っているわけではない。聖職者自身がミイラ化していただろうから。でもミイラ化した聖職者とは言っても、やりたい放題やれる立場にあったことは変わらない。
そういった世の中を作ってしまった以上、著者が“ヨーロッパ史にとっては、恥ずべきで憎むべき風潮”と言う異端裁判も十字軍も、必然的に起こったものであるわけだ。なかでもアルビジョア十字軍、カタリ派の殲滅は目に余る。
“使徒”あるいは“キリストの貧者” 『カタリ派』 アンヌ・ブルノン http://jhfk1413.blog.fc2.com/blog-entry-2142.html |
そんな時代にも、種々の要因によりミイラ化しなかったものもいた。フリードリヒ二世もそんな稀有な人物の一人ということになる。だけど、みんながみんなミイラになっちゃった世の中では、ミイラとしていきたほうが楽だろうけどな。・・・ブルッ・・・なんだか、ゾンビが出てくる映画を思い出しちゃった。


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