めんどくせぇことばかり 汪兆銘の妻陳碧君(覚書)『我は苦難の道を行く』 上坂冬子
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汪兆銘の妻陳碧君(覚書)『我は苦難の道を行く』 上坂冬子

この本を読むにあたって頭にあったのは、国民党から漢奸裁判にかけられた汪兆銘の妻、陳碧君が、夫と自分の罪を認めれば減刑すると持ちかけられたが、断固としてこれを拒否したいう話である。その法廷で彼女は、「日本に通じたことが漢奸というなら、国民党はアメリカと、共産党はソ連と通謀したではないか。我々の志は間違っていたのではない。単に日本が負けたから、こうなっただけだ」と、堂々と主張したという話が頭にあった。
『我は苦難の道を行く・・・汪兆銘の真実』 (文春文庫)

上坂冬子
この本には、そのセリフは出てこない。この本に紹介されている、一九四六年の漢奸裁判の際の彼女の証言を以下に紹介する。
汪兆銘は日本の占領区にいた人々の苦しい生活を座視するにしのびず、かといって中央政府にこれを反撃する力がないのを見かねて、国を救い民を救いたい一心で決然と立ち上がったのである。

臨時政府として和平工作を手がけ、その方針にしたがって協力した者の、どこを指して“敵”のお先棒を担ぎ祖国に背いたというのか。また別個の政権を打ちたて和平を画策したというが、戦術としては中央と矛盾するものではなく、汪兆銘はかつてから主張していた『一面抵抗、一面交渉』の思想を貫いて、抗日と足並みを揃えつつ、和平に向かって努力していたのであり、二つの方針は互いに両立するものであったはずだ。
(江蘇高等法院刑事裁判判決書)



この時とは別に、中共が新たな大陸の支配者となったのち、陳碧君は毛沢東から釈放を持ちかけられた話が本書にある。毛沢東の意を受けて陳碧君への使者に立ったのは孫文未亡人の宋慶齢だったという。条件は、汪兆銘の非を認め、自らも改悛の書を提出することだったという。陳碧君はたちどころにこの申し入れをはねつけ、話し合いは決裂したという。

冒頭に紹介した彼女の言葉、もしかしたらこの時のものなんじゃないかな。気風のいい啖呵にすら聞こえるこのセリフ、投げつけられる相手としては、孫文未亡人あたりがふさわしいような気もする。

 
    

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テーマ : 歴史関係書籍覚書
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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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