戦乱を終わらせた求心力(覚書)『井沢元彦の激闘の日本史 南北朝動乱と戦国への道』
大河ドラマ、見てます? 黒田官兵衛のやつ。一年に及ぶドラマとなれば、どうしたって《お話》作って挿入することになるのはやむを得ないとしても、“いっくらなんでも”っていうのがたくさんあってね。そういやこの間も、本能寺で信長の隣に寝てるのはお濃。森蘭丸ならわかるけど。お濃も本能寺で一緒に死んでたぞ。
歴史ドラマなんだからさあ、なんかさあ、どうして“今”をこってり当てはめるかなぁ。み~んな、正妻を大事にしちゃってさぁ。官兵衛なんか梅毒で顔が崩れたんでしょ。そんなに女に媚びたけりゃ、大河ドラマなんて銘打つのはやめにしてさぁ。
まあ、いいや。そんなこと言うつもりじゃなかったんだ。
さて、この本の第一章は《戦国をもたらしたもの-足利将軍たちの苦悩》。内容に関しては後で書くとして、第一章の冒頭を読んでいて、あることに気づいた。“気づいた”というのはおかしいか。“ようやく理解できた”という方が正しい。何だと思います?ものすごい基本的で、単純で、当たり前のこと。・・・ここに書くのが、ちょっと恥ずかしくなるくらいに・・・。
元亀四年、西暦では一五七三年に、信長は足利義昭を追放して事実上室町幕府は滅亡する。幕府直臣の多くは京都に残り、信長の配下に入る。当然周囲は、信長の天下人たらんとする意志を、強く意識せざるを得なくなっただろう。これ以前、美濃を手に入れた後から「天下布武」を表明し、足利義昭を将軍に擁立して京都に入った永禄十一(一五六八)年あたりから周囲の警戒を集めていたはずだ。
浅井の裏切りを受けて朝倉との間に挟み撃ちにされかかった金ヶ崎の戦い。秩序が乱れた戦国時代であっても、戦国には戦国の秩序があって、浅井は戦国の秩序にしたがって行動したのだ。その戦国の秩序を破ったのは信長の方で、信長は戦国の秩序を壊して、世に本物の秩序を確立しようという意志を持った。
その段階における勢力図を見ると、京を手にしているとはいえ、到底天下人なんて言える状況じゃない。でも、流れたんだな、時代が。“こんな乱れた時代を終わらせて欲しい”という人々の思いが。その大きな流れを、信長が作ったということなんだろう。
そんなことを、ようやく理解することが出来ました。チャンチャン。







一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
歴史ドラマなんだからさあ、なんかさあ、どうして“今”をこってり当てはめるかなぁ。み~んな、正妻を大事にしちゃってさぁ。官兵衛なんか梅毒で顔が崩れたんでしょ。そんなに女に媚びたけりゃ、大河ドラマなんて銘打つのはやめにしてさぁ。
まあ、いいや。そんなこと言うつもりじゃなかったんだ。
![]() | この間の、本能寺で信長が死んで、その知らせを手に入れた官兵衛が秀吉に奮起を促す場面、見ました?「御運が開けましたぞ❢」って秀吉に光秀討ちの発破をかける場面。岡田准一という役者、ヨカッタですね。この目つき、メフィストを思わせる。たしかに天下を取った後の秀吉は、その時の官兵衛を思い出して、さぞゾッとしたことだろう。 |
![]() | 『井沢元彦の激闘の日本史 南北朝動乱と戦国への道』 (2014/06/24) 井沢 元彦 商品詳細を見る 現代の常識、日本の常識だけでは、見えない歴史がある❢ |
さて、この本の第一章は《戦国をもたらしたもの-足利将軍たちの苦悩》。内容に関しては後で書くとして、第一章の冒頭を読んでいて、あることに気づいた。“気づいた”というのはおかしいか。“ようやく理解できた”という方が正しい。何だと思います?ものすごい基本的で、単純で、当たり前のこと。・・・ここに書くのが、ちょっと恥ずかしくなるくらいに・・・。
農民として穏やかに暮らしたい人にとっては、戦争の場にいちいち引っぱり出されるのはたまらない。戦争とは、自分のやりたくない、敵を殺さねばならない、場合によっては逆に殺される危険もある、タダ働きの仕事なのである。 また町人にとっても、いわゆる学者や芸術家にとっても、いつ戦争で家を焼かれるのかわからないのだから、やはり良い時代とはいえない。商人の中には大儲けのチャンスと目を輝かせていた者がいたかもしれないが、それは全体から見ればほんの一部で、大多数はやはり地道に商売をしたいと思っていたはずである。「戦いの世界」に飛び込めば自分の命が危険にさらされるからだ。そんなリスクを犯しても大儲けしたいというのは、やはり少数派だろう。 つまり当時ほとんどの人間が、「こんな乱世は嫌だ」と考えていたことは間違いないのである。 本書P11 |
元亀四年、西暦では一五七三年に、信長は足利義昭を追放して事実上室町幕府は滅亡する。幕府直臣の多くは京都に残り、信長の配下に入る。当然周囲は、信長の天下人たらんとする意志を、強く意識せざるを得なくなっただろう。これ以前、美濃を手に入れた後から「天下布武」を表明し、足利義昭を将軍に擁立して京都に入った永禄十一(一五六八)年あたりから周囲の警戒を集めていたはずだ。
浅井の裏切りを受けて朝倉との間に挟み撃ちにされかかった金ヶ崎の戦い。秩序が乱れた戦国時代であっても、戦国には戦国の秩序があって、浅井は戦国の秩序にしたがって行動したのだ。その戦国の秩序を破ったのは信長の方で、信長は戦国の秩序を壊して、世に本物の秩序を確立しようという意志を持った。
![]() | 《戦国を終わらせる》という意思表明が「天下布武」の旗印ということになろうが、そんなことを言う奴があらわれた、しかも結構強いらしい、もしかしたら本当に戦国を終わらせるかもしれない。そういう人々の思いが、結局戦国を終わらせることになったんだな。 地図はWikipediaから拝借 |
そんなことを、ようやく理解することが出来ました。チャンチャン。


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