『1949年の大東亜共栄圏』 有馬哲夫
講和条約の締結と占領終結の条件は、日本の再軍備だったそうだ。吉田茂首相は再軍備を急がなければならない状況にあって、否応なく注目されたのが服部卓四郎であったというのは、たしかにわかる。実際、警察予備隊が佐官クラスの隊員の募集を始めたときに使われた候補者のリストは服部卓四郎が作ったものであるという記述が、CIC(対敵諜報隊)の報告書にあるそうだ。
『この時、警察予備隊の幹部として採用された旧軍人は、警察予備隊が保安隊、自衛隊と移行していったとき、その幹部となった。そう考えれば、服部卓四郎は現在の陸上自衛隊の生みの親といってもいい』と、著者は書いている。
河辺虎四郎、有末精三、服部卓四郎、辻政信といった参謀本部の元高級将校は、戦後に残された有力者の一人宇垣一成と関連しつつGHQの占領政策に協力していく。彼らはその中で、国防軍の設置による再軍備とアメリカからの自立、東亜連盟軍の結成をめざした。本書は、敗戦からのさまざまな経験の中で描かれていく自立と新日本の設計図、そしてそれが失われていった様子が語られている。
形式的には、まともな国家になったはずだ。国防軍を持ち、そして服部構想には日本の軍事的一人立ちも想定されていたそうだから。
マッカーサーが自らの分を忘れず、軍人としての義務を全うし、かつ少なくともトルーマン以上に政治的に立ち回れていれば・・・。そうすればウィロビーも日本での活動を続けられたろうし、ウィロビーのもとで行動した服部の構想が実現した可能性は高まったろう。とは言っても、東アジア連盟構想は無理だ。支那人や韓国人と連盟するなど、残念ながら絵空事だ。しかも、日本人の努力によってどうなるものでは、まったくない。
著者は、今の日本の“のうてんき”を嘆くあまり、彼らの持っていた構想が現実のものとならなかったことを嘆くんだろう。でもね、そうなっていたとしても、結果はわからないけど、そうはならなかった現実世界で彼の構想の障害になったものが、きっと壁となって立ちふさがっただろう。
だいたい私なんぞは、“河辺虎四郎、有末精三、服部卓四郎、辻政信といった参謀本部の元高級将校”なんて言われただけで虫唾が走っちゃってさ。服部に辻、これに瀬島龍三でも加えようもんなら、もう・・・。
服部も辻も戦犯の指名をそれて逃げ回ってさ。うまいことウィロビーの懐に転がり込んで、難を逃れて。頭の良かったこの人たちの天才性は、図面上で作戦を立てることにはまるで発揮されなかったけど、自分のためにうまく立ち回ることには存分に発揮される性質のもののようだ。
参謀本部に属した元高級将校一人ひとりがどんな責任の取り方をしたか知らないが、敗戦の瞬間からこの三人には“責任をとる”なんていう様子は全く見られない。“腹を切る”なんて論外だったろう。あれだけの兵隊を、“無駄死に”、“犬死に”に追い込んでおきながら。GHQの占領により、日本人は、日本人の手であの戦争に決着をつける機会を失ったが、この三人には日本人の手で決着をつけたかった。
吉田茂は、服部構想を、旧陸軍がそのまま復活するようなものととらえたからこそ、反対の立場で立ちはだかったようだが、当たり前だ。“参謀本部に属した元高級将校”なんて責任の取り方も知らない連中に、どうして戦後の大事をまかせられる。






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『この時、警察予備隊の幹部として採用された旧軍人は、警察予備隊が保安隊、自衛隊と移行していったとき、その幹部となった。そう考えれば、服部卓四郎は現在の陸上自衛隊の生みの親といってもいい』と、著者は書いている。
河辺虎四郎、有末精三、服部卓四郎、辻政信といった参謀本部の元高級将校は、戦後に残された有力者の一人宇垣一成と関連しつつGHQの占領政策に協力していく。彼らはその中で、国防軍の設置による再軍備とアメリカからの自立、東亜連盟軍の結成をめざした。本書は、敗戦からのさまざまな経験の中で描かれていく自立と新日本の設計図、そしてそれが失われていった様子が語られている。
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プロローグ 四枚の絵 第一章 敗れざる者たち―一枚目の絵 第二章 国民党の参謀となった大本営参謀―二枚目の絵 第三章 国防再建と秘密機関―三枚目の絵 第四章 国粋主義者たちの祖国再建―四枚目の絵 第五章 「国際義勇軍」と警察予備隊―大きな絵 第六章 宇垣派を分裂させた朝鮮戦争―分かれていく絵 第七章 遠ざかっていく自立自衛―絵にならなかった絵 第八章 しのびよる戦後―フェードアウトする絵 エピローグ 未完の自立自衛 |
形式的には、まともな国家になったはずだ。国防軍を持ち、そして服部構想には日本の軍事的一人立ちも想定されていたそうだから。
マッカーサーが自らの分を忘れず、軍人としての義務を全うし、かつ少なくともトルーマン以上に政治的に立ち回れていれば・・・。そうすればウィロビーも日本での活動を続けられたろうし、ウィロビーのもとで行動した服部の構想が実現した可能性は高まったろう。とは言っても、東アジア連盟構想は無理だ。支那人や韓国人と連盟するなど、残念ながら絵空事だ。しかも、日本人の努力によってどうなるものでは、まったくない。
著者は、今の日本の“のうてんき”を嘆くあまり、彼らの持っていた構想が現実のものとならなかったことを嘆くんだろう。でもね、そうなっていたとしても、結果はわからないけど、そうはならなかった現実世界で彼の構想の障害になったものが、きっと壁となって立ちふさがっただろう。
だいたい私なんぞは、“河辺虎四郎、有末精三、服部卓四郎、辻政信といった参謀本部の元高級将校”なんて言われただけで虫唾が走っちゃってさ。服部に辻、これに瀬島龍三でも加えようもんなら、もう・・・。
服部も辻も戦犯の指名をそれて逃げ回ってさ。うまいことウィロビーの懐に転がり込んで、難を逃れて。頭の良かったこの人たちの天才性は、図面上で作戦を立てることにはまるで発揮されなかったけど、自分のためにうまく立ち回ることには存分に発揮される性質のもののようだ。
参謀本部に属した元高級将校一人ひとりがどんな責任の取り方をしたか知らないが、敗戦の瞬間からこの三人には“責任をとる”なんていう様子は全く見られない。“腹を切る”なんて論外だったろう。あれだけの兵隊を、“無駄死に”、“犬死に”に追い込んでおきながら。GHQの占領により、日本人は、日本人の手であの戦争に決着をつける機会を失ったが、この三人には日本人の手で決着をつけたかった。
吉田茂は、服部構想を、旧陸軍がそのまま復活するようなものととらえたからこそ、反対の立場で立ちはだかったようだが、当たり前だ。“参謀本部に属した元高級将校”なんて責任の取り方も知らない連中に、どうして戦後の大事をまかせられる。


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