めんどくせぇことばかり なぜキリスト教は広まったのか(覚書)『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二
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なぜキリスト教は広まったのか(覚書)『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二

《キリスト教徒は増えなかった》

・・・、えっ? 増えなかったんだって、キリスト教徒。

B.C.4頃
A.D.6
30
64
イエス・キリスト誕生
ユダヤがローマの属州となる
イエス・キリストの磔刑・・・ティベリウス帝時代

ローマ市の大火・・・ネロ帝時代
この本にも書かれていることなんだけど、十字架にかけられたイエスが復活したと信じ、十二使徒と言われるイエスの弟子たちが、イエスこそメシアであると広め始める。そこにパウロが加わって、徐々にユダヤ教から離れたキリスト教としての教えが整備されていく。パウロはネロによる迫害で死んだとされるので、この間はおよそ三十年。この間、キリスト教徒は急速に増加して、支配者に脅威を抱かせた。それがネロによる迫害を呼ぶが、迫害にもかかわらずキリスト教徒は着実に信者を増やした。・・・そう、思ってたんだけど・・・。

そうじゃないんだって。増えなかったんだって、しばらくの間、キリスト教徒は・・・

『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二
(2014/06/02)
本村 凌二

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ローマの歴史 ―起・承・転・結―



この本の中で書かれているように、《ローマがキリスト教を弾圧した理由は、ローマの側ではなくキリスト教の方にある》というのはよくわかる。ローマは、ユダヤ教徒に対してそうであったように、キリスト教徒に対してもその信仰そのものに対する干渉はしなかった。

キリスト教徒は、ローマ人の、あるいはローマに服する諸民族の信仰する神を、すべて偽物と非難した。そして、ローマ人とローマに服する諸民族の信仰を、誤りであるとして許さなかった。許さずに干渉したのは、ローマではなく、キリスト教徒の方だった。

やな奴らだなぁ~、キリスト教徒は・・・。これじゃあ、嫌われるわ。まあ、たしかに一神教の立場からすれば、そう言う主張になるけどな。本当、一神教ってのは、“寛容”の正反対の側に誕生したんだな。・・・でも、キリスト教にはユダヤ教っていう大先輩がいたはず。

・・・ユダヤ教は、そうじゃなかったんだって。これもよくわかる。ユダヤ教の神はユダヤ人だけを救う神だから、「お前たちも私たちの神を信じろ」という事にはならなかったんだって。たしかにね、選民思想を特徴とする信仰だもんね。そうか、イエスの思想はそこから飛び出して、自らの死を持って“すべての人の罪を贖った”わけだから、そのイエスの犠牲を無にするなんてことは、民族の枠を超えて許せないと・・・、そういうことか。
迫害でも、嫌われようと、その数がたかが知れたものならば、迫害する必要さえなかった。ネロ帝の場合は、迫害というよりもキリスト教徒をスケープ・ゴートに利用したのである。スケープ・ゴートとして使えたということは、彼らが嫌われていたからこそであったが・・・。
キリスト教がその信徒を爆発的に増やし、ローマが帝国全土を挙げてキリスト教徒の迫害に乗り出すのは、三世紀半ばのデキウス帝の治世(二四九~二五一)です。
本書P254

とあるが、結局、著者が言っているように、ローマがキリスト教に染まっていったのは、ローマの国力が低下し、不安定な社会の中で、古来からの人間関係がゆらぎ、人々が個々に救いを求めた結果、ということになってしまうのか。
  1. 神の子が人々の犠牲になるという物語のわかりやすさ
  2. 抑圧された人々の怨念
  3. 心の豊かさを求める際のローマ人の禁欲的意識
著者は、そんな不安定なローマ人の心をつかんだ理由として、上の三つをあげている。でも私、そこに伝染病の流行が絡んでると思ってる。

キリスト教の本質は、「イエスが自らの命で人々の罪を贖った。だからイエスとその復活を信じる者は救われる」というものである。パウロの教えだ。でも、人々がキリスト教に惹かれたのは、おそらくおまけの方だろう。別に本当はどうでもいい、病人を助けたとかの、イエスが生きている時の様々な逸話の方だろう。

パルティアに遠征したマルクス・アウレリウス・アントニウス率いるローマ軍が天然痘をローマにはやらせたのが一六五年。以来十五年間、ローマは苦しめられたというから、マルクス・アウレリウス・アントニウスが亡くなる一八〇年まで流行して、犠牲者は全人口の1/3にも上ったという。

人々をつないが絆が断ち切られ、多くの患者が置き去りにされ、または放り出されて路上で死んだ。そのような中で、キリスト教徒たちは自分が感染することも恐れず、病人の世話をしたという。そういうことがあって、そして、ローマ帝国の国力が低下して社会が不安定化し・・・、というつながりになるんじゃないかな。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とかさ、イエスが何を言ったかなんて、キリスト教の本質には、本来関係ないよね。“博愛”ってキリスト教のおまけでしょ。でも、おまけのほうが魅力的なことって、よくあるよね。


    

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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