朕は国家になりたい[幕藩体制と絶対王政](覚書)『日本の1/2革命』 池上彰・佐藤賢一
ルイ14世の「朕は国家なり」っていう言葉、よくフリードリヒ2世の「君主は国家第一の下僕」という言葉と対比して、絶対君主と啓蒙専制君主の違いを説明したりする。
ところが佐藤賢一さんは、その「朕は国家なり」というのは字句通りに受け止めるべきじゃなくて、あくまで理想を謳った言葉だという。だから、「朕は国家になりたい」と・・・。・・・、「早く人間になりたい」と妖怪人間たちが言ったように、見果てぬ夢であったと・・・。妖怪人間の話は、私が勝手に入れちゃったんだけどね。
さてこの話、フランス革命と明治維新の比較の話で、佐藤賢一さんは途中まではとてもよく似ているという。そのフランス革命と明治維新の類似性については後回しにして、その両者の類似性の前提として、フランスの絶対王政と日本の幕藩体制の類似性があるという。これにはちょっとビックリ。絶対王政と幕藩体制~?・・・という所で、冒頭の「朕は国家になりたい」につながるわけね。
面白いのは、ヴェルサイユ宮殿の王朝文化は“強さの誇示”ではなく、“弱さの穴埋め”だったというんだな、佐藤さんは・・・。あの王朝文化の華やかさは貴族をヴェルサイユに引き寄せるための文化政策だったというんだけど、それは国家権力が弱かったからこそ必要だったと。実力のある地方貴族に地元にこもられて武器を蓄えられるくらいなら、散財しても彼らをヴェルサイユに引きつけて、危険な連中を一か所に集めて金を使わせる。
「宮廷貴族たちは無理をして、借金してまで着飾った」なんて言われると、たどりつくのは『参勤交代』だよね。うぇ~、ヴェルサイユ宮殿の王朝文化には幕藩体制下の『参勤交代』とおんなじ意味合いがあったんだ。・・・似てるどころか同じだね。“絶対王政”って歴史用語に惑わされちゃいけないね。ルイ14世も、最初から「朕は国家になりたい」って言ってくれてればね。「・・・になりたい」っていう見果てぬ夢は、妖怪人間たちと同じように無残に引き裂かれるって予見できるのにね。
政治の弱さゆえに文化を肥大化させてそれを補い、また対外戦争もしなけりゃならない。そのため財政的に困窮していく。それが革命の原因になったのなら、革命はフランス絶対王政の必然だったということだな。
2011年の、ちょっと前の本なんだけど、とても興味深かった。実は当時、あまりにもテレビへの露出の多い池上彰さんにあんまりいい感情を持っていなくて、それで読まなかったんだと思う。“好きだ”とか“嫌いだ”っていう価値基準は、だいたい損をすることに決まってるね。







一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
ところが佐藤賢一さんは、その「朕は国家なり」というのは字句通りに受け止めるべきじゃなくて、あくまで理想を謳った言葉だという。だから、「朕は国家になりたい」と・・・。・・・、「早く人間になりたい」と妖怪人間たちが言ったように、見果てぬ夢であったと・・・。妖怪人間の話は、私が勝手に入れちゃったんだけどね。
![]() | 『日本の1/2革命』 池上彰・佐藤賢一 (2011/06/17) 池上 彰、佐藤 賢一 他 商品詳細を見る 人気No.1ジャーナリストと西洋歴史小説の第一人者が、日本の政治的混迷について熱く語る。(2011/6/22第一刷発行) |
さてこの話、フランス革命と明治維新の比較の話で、佐藤賢一さんは途中まではとてもよく似ているという。そのフランス革命と明治維新の類似性については後回しにして、その両者の類似性の前提として、フランスの絶対王政と日本の幕藩体制の類似性があるという。これにはちょっとビックリ。絶対王政と幕藩体制~?・・・という所で、冒頭の「朕は国家になりたい」につながるわけね。
この中間団体、いってみれば王という頂点の国家権力と末端の人民との間に挟まって、なにかと幅を利かせようとする政治権力のことです。領主貴族なんかは、裁判権も持っていました。 ワインで有名なブルゴーニュ州というのがありますね。あれは昔、ブルゴーニュ公という人が治めていた領国の残滓なんです。その隣にシャンパンで有名なシャンパーニュ州がある。あれはシャンパーニュ伯という人が治めていた土地の残滓ですね。こういう土地の人たちは、自分たちのことをフランス人であるよりもブルゴーニュ人とかシャンパーニュ人とか思っていて、機会を見ては独立運動をおこしたりしました。ブルターニュ州なんか、今でもそうですよね。文化的、慣習的なアイデンティティが違うということですが、絶対王政のフランスでは文化、慣習に留まらない実力行使でした。 ですから、統一というなら、王が全体に緩やかに網をかけることができたという程度の統一。江戸時代の日本なんかも、各地に藩という自立的な単位があって、徳川将軍という国家権力が直接支配しているわけではありませんでしたよね。「絶対」なんて高飛車な言葉は使わないけど、かえって幕府の方が強かったくらいです。大名の改易なんか、問答無用でやっていますからね。フランスでは考えられない。 本書P91~P94抜粋 |
面白いのは、ヴェルサイユ宮殿の王朝文化は“強さの誇示”ではなく、“弱さの穴埋め”だったというんだな、佐藤さんは・・・。あの王朝文化の華やかさは貴族をヴェルサイユに引き寄せるための文化政策だったというんだけど、それは国家権力が弱かったからこそ必要だったと。実力のある地方貴族に地元にこもられて武器を蓄えられるくらいなら、散財しても彼らをヴェルサイユに引きつけて、危険な連中を一か所に集めて金を使わせる。
「宮廷貴族たちは無理をして、借金してまで着飾った」なんて言われると、たどりつくのは『参勤交代』だよね。うぇ~、ヴェルサイユ宮殿の王朝文化には幕藩体制下の『参勤交代』とおんなじ意味合いがあったんだ。・・・似てるどころか同じだね。“絶対王政”って歴史用語に惑わされちゃいけないね。ルイ14世も、最初から「朕は国家になりたい」って言ってくれてればね。「・・・になりたい」っていう見果てぬ夢は、妖怪人間たちと同じように無残に引き裂かれるって予見できるのにね。
政治の弱さゆえに文化を肥大化させてそれを補い、また対外戦争もしなけりゃならない。そのため財政的に困窮していく。それが革命の原因になったのなら、革命はフランス絶対王政の必然だったということだな。
2011年の、ちょっと前の本なんだけど、とても興味深かった。実は当時、あまりにもテレビへの露出の多い池上彰さんにあんまりいい感情を持っていなくて、それで読まなかったんだと思う。“好きだ”とか“嫌いだ”っていう価値基準は、だいたい損をすることに決まってるね。


- 関連記事
-
- 『民話の世界』 松谷みよ子 (2014/09/26)
- 龍神の怒り(覚書)『民話の世界』 松谷みよ子 (2014/09/24)
- 朕は国家になりたい[幕藩体制と絶対王政](覚書)『日本の1/2革命』 池上彰・佐藤賢一 (2014/08/19)
- 抑止力と穢れ(覚書)『逆説の日本史テーマ編 英雄の興亡と歴史の道』 井沢元彦 (2014/08/16)
- 続 『愛と暴力の戦後とその後』 赤坂真理 (2014/07/24)