神の国の到来=革命(覚書)『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン
| エルサレムはセレウコス朝シリアのアンティオコス大王によって、プトレマイオス朝支配下から取り戻され、その息子のアンティオコス・エピファネスが、自分こそ神の化身と名乗って、エルサレムでユダヤ人の髪の崇拝を禁止。 ハスモン家マカバイ一族が蜂起。執拗なゲリラ戦によってエルサレムをセレウコス朝から奪回し、ユダヤ全土にユダヤ人のよる支配権を回復。 ハスモン王朝樹立。ハスモン家は大祭司兼ユダヤ人の王として統治。 ポンペイウス・マグヌスがローマ軍を率いてエルサレムに入城。 アンティパトロス・ヘロデがカエサルからユダヤ全土の行政管理権を与えられる。 息子のヘロデが反乱指導者のヒゼキアを斬首 ヘロデ大王、ユダヤ人の王となる。その残虐性に、皇帝アウグストゥスは「ヘロデの息子であるよりも、彼の飼う豚である方がましだ」と言ったという。 ヘロデ大王、死去。アウグストゥスはヘロデの王国を彼の息子三人に分割させる。エロデ・アンティパスはガラリアとペレアの支配を任される。以後、ユダヤ人の蜂起続発。 ユダヤが正式にローマの属州となる。エルサレムは完全にローマの支配下に置かれる。 〈ガラリアのユダ〉の蜂起 ポンテオ・ピラトがユダヤ占領統治のため、総督としてエルサレムに赴任 ヘロデ・アンティパスがヨハネを処刑 ウェンティディウス・クマヌスがユダヤ占領統治のため、総督としてエルサレムに赴任 アントニウス・フェリクスがユダヤ占領統治のため、総督としてエルサレムに赴任 ユダヤ人蜂起 エルサレム陥落 |
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〈ガラリアのユダ〉と呼ばれる反徒が台頭してきたのは六年のことだったという。かつて斬首された反徒のリーダー、ヒゼキアの息子であったという。
一世紀、ローマ帝国占領下のユダヤ人には“終末”への期待に関連した敬神の念が強く、「今の体制がやがて消滅し、神の王国がもうすぐやってくる」という思いがあった。その思いは、ローマ人や割礼を受けていない大衆、ローマ人に服従するユダヤ人に対して、必要であれば暴力をふるう人々を生み出していく傾向にあったという。ガラリアのユダ、彼の父と言われるヒゼキアの蜂起に他にも、前後して、ペレアのシモン、羊飼いのアスロンゲスらの蜂起が発生している。
洗礼者ヨハネの処刑に続いて、ナザレのイエスの処刑。しかし、ユダヤ人の蜂起、その先導は以後も続く。三六年には「サマリア人」としか知られていないメシアを名のる男がピラトの派遣したローマ軍によって粉砕された。ピラト以後の四四年、テウダはローマ軍を出動されて首をはねられている。四六年にはガラリアのユダの二人の息子、ヤコブとシモンが十字架刑に処せられた。
四八年にエルサレムに赴任したウェンティディウス・クマヌスは火に油を注いだ。ユダヤ人の叛意は暴動へと変わった。クマヌスに変わって派遣されたアントニウス・フェリクスも同様だった。
そのよう流れの中で、六六年にユダヤ人蜂起が起こる。ナザレのイエスも、このような流れの中で処刑された一人のユダヤ人と捉えれば、聖書の言葉も違って聞こえてくる。


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