支那民主化で1300万人死亡(覚書)『岡田英弘著作集 第四巻 シナとは何か』
産経ニュース 2014/9/25 中国が民主化すれば「1300万人死亡」「国家は30に分裂」 機関紙が一党支配正当化 http://sankei.jp.msn.com/world/news/140925/chn14092509080002-n1.htm 要約
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上記のような、アバウトは算出は、支那の歴史を見誤っちゃあいませんかね。ちょっと、今年の初夏にこの本を読んだんですけどね・・・
![]() | 『岡田英弘著作集 第四巻 シナとは何か』 (2014/05/24) 岡田英弘 商品詳細を見る What is China? |
“東夷・西戎・南蛮・北狄” とは、華夷思想によって野蛮と誹られた者たちのこと。彼らは互いを異族として憎悪した上、都市に入ってからは自らの出自さえ差別したということ。一度闘いが発生すれば、支那は憎悪と恐怖に支配される。
この本の中に、各時代の人口の推計(記録を元に)がある。最初の人口統計は漢書に残る紀元にすれば2年のもので、「五千九百五十九万四千九百七十八」という数字だそうだ。見にくいね。「59,584,978人」、おおよそ6000万人。この6000万人という数字が、これ以降1000年以上にわたって最高の数字であるという。この生産力段階における上限と考えて良さそう。
その直後、簒奪王朝である王莽の新は赤眉の乱の混乱で滅びるが、この間、乱の発生した17年から王莽が敗死して新が滅ぶ23年までの6年間で人口は半減する。25年に光武帝の後漢が成立するが、全土を統一する36年までの間に、さらに人口は半減する。後漢当初の人口はおおよそ1500万人である。
後漢も2世紀に入ると5000万人代の人口を回復するが、184年に始まる黄巾の乱で再び減少する。230年、三国時代の魏の人口は250万と推計される。呉や蜀はもっと少なく、呉が150万、蜀が100万、三国合わせて500万人。別に450万人以下とする推計もあり、事実上漢民族の滅亡である。
魏の曹丕、文帝は、221年、現在の河南省と山東省西南部に、生き残った漢民族を移住させた。真空状態となった周辺部には、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五胡が侵入し、定着する。280年、黄巾の乱以来100年ぶりに晋による支那統一が成るが、わずか20年後に始まる八王の乱以降は、戦乱を抱えたまま五胡十六国の大混乱期に入る。この混乱は南北朝時代を経て、589年の隋による支那統一まで続くことになる。この隋と、続く唐王朝は鮮卑族の王朝で、大混乱の前と後では、完全に種族の断絶があることが分かる。
さて、たしかに支那の歴史を見ると、それは平時においても、人間間の《憎悪と恐怖による混乱》をはらんだものであった。それゆえに、憎悪と恐怖による混乱を封じ込めるためには強大な権力が必要であった。かつてはそれが王朝であったし、毛沢東という個人であったし、共産党であってもいい。とにかく強い権力がないと、それは封じ込められないと・・・。
しかも中共は、満洲、チベット、モンゴル、ウイグルと、新しい憎悪をまき散らしたしなぁ。いったん事が起きればどうなることやら。“1300万人が死に・・・”という言葉が、私にはとても悠長なものに聞こえるんだけどな。


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