『科学者が読み解く日本建国史』 中田力
自然との適合のプロセスを通して東アジアに到達した人類 O1 海岸の民…長江デルタ(浙江省)、良渚[リョウショ]文化…洪水で消失 →南下…海をわたって台湾→フィリピン、インド洋、太平洋、マダガスカルにも 北上…黄河中流域で夏王朝…周王朝 O2 海岸の民…稲作の民→O2a 南方に展開~広東から南に展開し東南アジアの稲作稲作民族の祖 O2b 北方に展開~拠点は現江蘇省北部から山東省。夏を倒して商をたてる。 O3 中原の民(現支那大陸絶対多数) |
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どうにもまとめ用がなくて、メモしておいたものをそのまま出しちゃいます。
商王朝を建てた湯王は姓を子、名を天乙(太乙)という。天乙=太乙=太一=北極星 山東龍山文化を築いた02bの人たち 夏王朝の遺族は姫姓。周族の姫昌(文王)、姫発(武王)親子が商を倒す。 周(O1:O3)・・・文王、武王に仕えた軍師が太公望呂尚。呂尚は姜姓で、羌族の首長。 弥生時代は、呉の滅亡により、水田稲作技術とともに長江下流域から渡来した人々によってもたらされた。 呉は姫姓で、周の太伯が建てた。太伯は周王の長子ながら、三男季歴の子、昌の才覚を尊び次男の虞仲を連れて周を出奔し、呉を建てた。王族はO1、民はO2b1の国家。 前四七三年滅亡。姫姓の王とO2b1の民は海に逃れ、博多の奴国を建てる。 越(O1:O2a)・・・呉を滅亡させた勾践の父允常が、夏王朝の始祖、禹の二〇代目の末裔と自称 勾践の六世の孫、無疆の代に楚に滅ぼされる(前三三四) 呉の故地にとどまって越に支配されたO2b1の人々は、やはり海を越えて出雲・高志の国に至る。 |
こんな紹介の仕方じゃ本当に申し訳ないんだけど、読み終わった今も、まだ消化しきれずにいるだな。メモしてたこのあたりまではワクワクしながら読んだんだけど、ここからがダメ。日本について言及するあたりから、どうにもついていけない。どうも、精密な歴史の検証にまで、遺伝子人類学という方法に期待するのは無理がありそう。
それでも前半部分が面白かったのは、支那大陸が遺伝子人類学という方法を活かすに十分な領域を持っていたからじゃないかな。その領域は日本にはないから・・・。
・・・そういうことなんじゃないかなって思ってるんだけどな。「科学的方法で・・・」という著者が、かえって魑魅魍魎の世界に足を踏み入れていってしまったんじゃないかな。そこに踏み込まなければ、とても面白いと思うんだけどな。


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