文化大革命の再来・・・習近平氏の〝ありがたい文芸講話〟
産経ニュース 2014/11/07 「興奮して眠れなかった」 習近平氏の〝ありがたい文芸講話〟は文化大革命の再来か http://www.sankei.com/premium/news/141107/prm1411070003-n1.html (抜粋) 中国の習近平国家主席(61)が最近、中国国内の小説家、俳優、歌手、画家など72人の有名文化人を対象に行った「文芸講話」が大きな反響を呼んでいる。「文芸は市場の奴隷になってはいけない」「文芸は社会主義のために奉仕しなければならない」といった内容は、政権による文化、芸術分野への介入強化を強くにおわせるからだ。「毛沢東が起こした文化大革命再来の兆しを感じさせた」と感想をもらす知識人もいた。 |
あの時の傷は、そう簡単に癒えるものじゃない。現代の支那がかかえる困難な問題のいくつかは、あの時の傷に原因しているだろう。それをまた、・・・習近平は・・・
以下、過去記事です。
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『ほんとうの中国の話をしよう』 余華 同じ年の著者、私も支那に生まれていれば・・・ |
著者の余華氏は支那の作家。1960年生まれといから、私と同じ歳。私も支那に生まれていれば、同様の体験をした可能性があるということか。1992年の「活きる」、2005年の「兄弟」という二つのベストセラーを著し、両作品は翻訳されて日本でも出版されているという。まだ読んでないが・・・。
6才から17才までが文化大革命に重なり、改革開放後、29歳で天安門事件。そしてその後のいびつな経済成長。作家活動の中で精神の危機もあったようだが、考えてみればそれも当然のことと思える。この本は、そんな支那近現代史とともに生きてきた著者が、自らと、自らの生きた支那を振り返り、支那社会の本質をえぐったた随筆。
次の文章には背筋に電流が走りました。同時に、今の支那社会の激変の一端がかいま見えたような思いがしました。
なぜ私は、今の中国を語るとき、いつも文化大革命にさかのぼるのだろう?それは二つの時代が密接につながっているからだ。社会形態はまったく違うが、精神の中身は驚くほど似ている。たとえば、国民総動員で文化大革命を行った我々は、またも国民総動員で経済発展を進めているではないか。 ここで強調したいのは、民間経済の急激な発展が文革初期に突如登場した無数の造反司令部に類似しているということだ。一九八〇年代の中国人は、革命の熱狂を金儲けの熱狂に置き替え、またたく間に無数の民間会社を登場させた。(中略)数えきれないほどの民間会社は一方ですぐ消滅するが、また一方ですぐ登場する。革命と同じで、先人の屍を乗り越え、勢いよく前進を続けた。唐の白居易の詩句を引用するなら、「野火焼けども尽きず、春風吹いてまた生ず」である。中国経済の奇跡は、このようにして引き起こされた。 |
文化大革命が完全に終わって改革開放が始まったことは、支那がまったく正反対の方向へ進み始めたことを意味している。これまでそう信じきっていた。そのように見えて、“革命の熱狂が金儲けの熱狂に置き替えられた”のであり、本質は変わらないという著者の考えは、大変新鮮である。たしかに現在の“金儲けの熱狂”のいびつさは、文革のいびつさを引きずっていないか。そういえば、二つのイメージはピッタリ重なるように思える。
失業生活を長く続けている夫婦が幼い子供を連れて、帰宅途中に露天の果物屋の前を通りかかった。息子は多くの果物のうち値段の安いバナナに目をつけ、両親に一本だけでいいから買ってくれと頼んだ。しかし貧しい両親は有り金を全部はたいても、バナナ一本買うことができなかった。子どもを強引に露店の前から連れ去るしかない。子供は大声で泣いた。もう長いことバナナを食べていないので、どんな味だったかも忘れかけていた。 両親に家まで連れ戻されても、子供の悲しげな泣き声は止まらなかった。泣き止まないことに腹を立て、父親は子どもを殴打した。母親が駆け寄って父親を押しのけ、夫婦喧嘩が始まった。次第に言い争いが激しくなり、子どもは「バナナ」と泣き叫んだ。 突然、父親は悲哀を感じ、悲哀はすぐに憎悪に変わった。父親は自分を憎悪し、自分の無能さを憎んだ。仕事も収入もなく、バナナを食べたいという息子の願いをかなえることすらできないのだ。憎悪の気持ちが彼をベランダに導いた。彼は振り返ることもなく身を躍らせ、マンションの十数階から飛び降りた。 妻は大声を上げてドアから飛び出し、階段を駆け下りた。夫はコンクリートの上の血だまりの中に横たわっていた。妻はひざまづいて、夫を抱き起こそうとした。夫の名前を呼んだが、なんの反応もない。しばらくして、妻は夫の命が尽きたことを知った。 突然、冷静さを取り戻し、もう泣き叫ぶこともなく、夫をそのままにして立ち上がり、マンションの方へ引き返した。家に戻ると、幼い息子は何が起こったのかわからず、なおもバナナを欲しがって泣いていた。 母親は息子が泣きながら見ている前で、一本の縄を探し出し、踏み台を部屋の中央に運んだ。踏み台の上に立つと、落ち着いて縄を室内灯の釣り鉤に結びつけ、縄の輪の中に自分の首を入れた。息子は泣きながら、当惑した様子でこちらを見ている。 母親は縄から首を出し、踏み台から降りて、息子のところへ行った。そして息子と息子が座っている椅子の向きを逆にして、背中を向けさせた。その後、母親はまた引き返し、踏み台に上がり、あらためて縄を首にかけた。泣いている息子の後ろ姿を悲しそうに見つめながら、踏み台を蹴り、首吊り自殺を遂げたのだ。 両親が亡くなったあとも、子供は泣き続けた。子供はもはや、バナナが欲しくて泣いているのではなかった。 |
これは、いびつな“金儲けの熱狂”が生み出したあるちっぽけな事件である。そこに見られるいびつさ、社会の歪みは、文化大革命の時に表現された生徒が先生を、年少者が年長者を、子が親を、愚者が賢者を引きずり下ろして袋叩きにしたあの頃に、見事なまでに重なるように思える。
周恩来が死に、毛沢東が死に、四人組が引きずり降ろされて文革は終わったはずだった。でもまだ、あの頃の熱狂の本質が今も引きずられているなら、支那は一体どこまで走り続けるのだろう。その先にもう、道が続いているようには思えないのだが・・・。


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