『お国のために』 佐藤守
帯にあるのは大西瀧治郎海軍中将の訓示。(詳しい内容は本書P78~)昭和十九(一九四四)年十月二十日、初の特攻隊に任命された関大尉以下二十数名の搭乗員に対して語られたもの。(猪口参謀の書き残し)
「まったく、めんどくせぇ本読んじゃったな~」というのが第一印象。・・・こういう誤解されやすい言葉使うのは避けるべきであるのは分かりきってますね。けど、こういう田中将大投手ばりの豪速球を受け止めるには、ちょっと最近体力不足でね。そんなこと言うと余計に怒られちゃうよね。なんせ著者の佐藤守さんは昭和十四(一九三九)年生まれって言うことは、私より二一も年長さん。足踏ん張って、真正面から受け止めてね。
“お国”っていうと“国家”とはちょっと受け止め方が変わりますね。“お国”っていうと、胸に浮かんでくるのは故郷の風景だったり、風の匂いだったり、父母、祖父母、兄弟たち。学校だったり、校庭だったり、よく遊んだ山や川だったり、友達だったり。先生や近所のおじさんやおばさん、親戚のおじさんおばさんやいとこたち。つまりは、自分を自分たらしめている全部ってことかな。
でもやっぱり特攻を考える時、大西中将自らが言うように、それを作戦として取り入れることは《統帥の外道》であるには違いない。大西中将は、その“外道”に堕ちたわけで、何一つ言い訳は効かない。だから死ぬのは当然で、生きててもらっちゃ特攻で死んだ数千の若者の犠牲が無駄になる。でもね、他にもいるんじゃないの? 若いもんを巻き添えにした宇垣纏見たいのもいたけどさ。黒島亀人は? 源田実は?
それを云々することよりも、外道のような作戦を取り入れなければならない状況そのものが問題だと思う。その意味においても上にあげた二人は・・・。最後に、これは付け足しね。
最後に繰り返しだけど、足踏ん張って読んでね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
この体当たり攻撃隊を神風特別攻撃隊と命名し、四隊をそれぞれ敷島、大和、朝日、山桜と呼ぶ。 日本はまさに危機である。 この危機を救いうるものは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。もちろん、自分のような長官でもない。 それは諸子の如き純真で気力に満ちた若い人々のみである。 したがって、自分は一億国民にかわって、みなにお願いする。どうか成功を祈る。 みなはすでに神である。 神であるから、世俗的な欲望はないだろう。 が、もしあるとすれば、それは自分の体当たりが無駄ではなかったかどうか、それを知りたいことであろう。 しかし、みなは永い眠りにつくのであるから、それを知ることはできないし、我々もその結果をみなに知らせることはできない。 だが、自分はこれをみとどけて、必ず上聞に達するようにするから、みな安心して行ってくれ。 しっかり頼む。 |
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おわりに 「君は国のために死ねるか?」 |
「まったく、めんどくせぇ本読んじゃったな~」というのが第一印象。・・・こういう誤解されやすい言葉使うのは避けるべきであるのは分かりきってますね。けど、こういう田中将大投手ばりの豪速球を受け止めるには、ちょっと最近体力不足でね。そんなこと言うと余計に怒られちゃうよね。なんせ著者の佐藤守さんは昭和十四(一九三九)年生まれって言うことは、私より二一も年長さん。足踏ん張って、真正面から受け止めてね。
“お国”っていうと“国家”とはちょっと受け止め方が変わりますね。“お国”っていうと、胸に浮かんでくるのは故郷の風景だったり、風の匂いだったり、父母、祖父母、兄弟たち。学校だったり、校庭だったり、よく遊んだ山や川だったり、友達だったり。先生や近所のおじさんやおばさん、親戚のおじさんおばさんやいとこたち。つまりは、自分を自分たらしめている全部ってことかな。
でもやっぱり特攻を考える時、大西中将自らが言うように、それを作戦として取り入れることは《統帥の外道》であるには違いない。大西中将は、その“外道”に堕ちたわけで、何一つ言い訳は効かない。だから死ぬのは当然で、生きててもらっちゃ特攻で死んだ数千の若者の犠牲が無駄になる。でもね、他にもいるんじゃないの? 若いもんを巻き添えにした宇垣纏見たいのもいたけどさ。黒島亀人は? 源田実は?
それを云々することよりも、外道のような作戦を取り入れなければならない状況そのものが問題だと思う。その意味においても上にあげた二人は・・・。最後に、これは付け足しね。
最後に繰り返しだけど、足踏ん張って読んでね。


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