戦争で発展するアメリカ(覚書)『国家の盛衰』 渡部昇一 本村凌二
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“大恐慌”と言われて思い出すのは、やはり1929年に始まる世界恐慌だけど、それは実際には二度目の国際恐慌だった。史上初の国際恐慌は一八七三年、ウィーン証券取引所のパニックから始まっている。国際的にはこの恐慌は一八九六年あたりまでに収束しているようだが、アメリカはもっと深刻だった。その時のアメリカの状況が本書に書かれているので紹介する。
この時代はイギリスが世界覇権を握るなか、一方のアメリカは十九世紀末の鉄道狂時代と言われる鉄道敷設ブームにより、莫大な対外債務を抱えていたため、大きな打撃を受けた。それを乗り越えることができたのは、スベインとの米西戦争や米比戦争による軍需の拡大である。 |
この経験はアメリカにとって極めて大きい。さらに米西戦争や米比戦争によって国力を高めると、間もなく始まる第一次世界大戦。
第一次世界大戦で対外債務を一掃し、債務国から世界最大の債権国へと転化した。 開戦当初、従来のモンロー主義によって戦争に介入することができずにいたアメリカだが、英仏に戦争資金や物資を供給し続けた。ドイツによる潜水艦攻撃で参戦すると、アメリカは軍需景気に湧き上がった。さらに戦後は自動車やラジオなどの新技術を獲得し、経済は飛躍的に発展した。 世界経済の中心はヨーロッパからアメリカに移行し、金融市場の中心もロンドンのシティからニューヨークのウォール街に移った。 |
アメリカは、戦争のたびに発展してきたわけだ。世界恐慌から脱出できずにいたアメリカ経済、社会主義者みたいな連中を使って実施したニューディール政策。昨日の記事にも書いたのでしつこいけど、一九三七年に一四%までなんとか下がった失業率は、翌年には一九%に戻っている。さらにその次の年、ルーズベルトにあおられたチェンバレンは、ドイツに宣戦布告することになる。
でも、ルーズベルトは手が出せない。一九四〇年の大統領選挙で異例の三選を果たしたものの、大々的に掲げた選挙公約がヨーロッパの戦争への不介入。アメリカからは手が出せない。なんとか向こうから手を出させようと、ルーズベルトはしつこくドイツを挑発する。英国向け武器輸送船をアメリカ艦船が艦隊編成で護衛したり、Uボートを見つけ次第攻撃せよと命令を出したり・・・。それでもヒトラーは挑発に乗らない。そりゃそうだ、第一次世界大戦で、同じ方法でアメリカに痛い目にあわせられてるんだから。
同時に挑発の対象にされた日本。すでに、石油を干し上げる手は打った。あとは和平交渉と銘打って戦争準備を整え、整ったところで絶望を与えれば手配は完了。その絶望がハルノート。『ルーズベルトの開戦責任』の著者はハルノート手交から引き起こされる事態を想定するのは難しくないと、次の三点をあげている。
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そしておまけに言えば、ハル・ノートという最後通牒が日本側に手渡されたことは、米国民にも、米議会にも、米軍各方面にも伝えられていなかった。
だからと言って、日本が、ルーズベルトが想定するような方法で反応する必要は何一つないんだけどね。


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