めんどくせぇことばかり 高麗(覚書)真実の朝鮮史【663-1868】 宮脇淳子 倉山満
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高麗(覚書)真実の朝鮮史【663-1868】 宮脇淳子 倉山満

高麗略年表 (元寇まで)
918年
935年
936年
960年
963年
983年
985年
993年
994年
1010年
1011年
1016年
1019年
1020年
1022年
1125年
1126年
1170年
1206年
1225年
1231年
1232年
1254年
1258年
1259年
1260年
1263年
1268年
1270年
1271年
1272年
1273年
1274年

1275年
1280年
1281年




1287年
王権が後高句麗を倒して高麗を建国
新羅征服
後百済征服
宋建国
宋の正朔を奉じる
契丹の侵入
契丹の侵入
契丹人の遼が朝貢を求めて大規模な侵入
高麗王成宗、遼に朝貢し正朔を奉じる
高麗の政変に乗じ、遼が侵入。高麗軍は首都開城を明け渡す
高麗王顕宗、講和
北宋から柵封。朝貢し、正朔を奉じる
遼の大規模侵入
遼と講和。朝貢、遼の分暦
遼の正朔を奉じ、再び服属
金が遼を滅ぼす
高麗王仁宗、金に服属し、高麗は金の藩となる(高麗藩)
庚寅の乱で武臣政権はじまる
モンゴル統一
モンゴルの高麗侵攻
モンゴル軍の大規模侵攻始まる
武臣政権は国王を江華島に移しモンゴル帝国への抵抗を続ける
モンゴル皇帝モンケ・ハーンの時、第六次侵攻
江華島でクーデター、武臣政権倒れる
高麗王高宗の世子、後の元宗(忠敬王)がモンゴル帝国フビライ勢力に服属。
モンゴル皇帝フビライ、高麗王元宗の王位を安堵
勿島で倭寇。高麗、日本に使者を送って、倭寇の取り締まりを要請
徹底抗戦を主張する武臣派を排除。元宗、いったんは廃位されるが、元の力で復位
武臣政権下の軍である三別抄(左別抄・右別抄・神義軍)は解散を拒否。反乱を起こす。珍島へ移動
元宗の世子、忠烈王、フビライの皇女の夫となる
忠烈王、フビライに日本遠征を進言。軍船の提供を申し出る
三別抄、元軍に鎮圧される
文永の役。元と高麗の連合軍、総勢3万2300人が合浦を出港し、対馬と壱岐を攻撃し、博多湾に上陸。連合軍は、暴風で損害を受け、高麗に戻る。未帰還者は、一万三五〇〇人以上。
クビライは杜世忠を正使とする使者を日本に送る。北条時宗、鎌倉の龍ノ口で使者5名を斬首に処す
元が日本遠征のための征東行省設置。忠烈王が長官となる
弘安の役。洪茶丘率いる元軍と金方慶率いる高麗軍、総勢四万人の東路軍が、予定を早めて、合浦を出港し、対馬に上陸した。東路軍、単独で日本本土を攻撃する。壱岐島に東路軍と十万人の江南軍が合流するが、暴風により壊滅的な打撃を受ける。生還者は、総勢十四万人のうち、三万三千人に過ぎなかった。
征東行省解散
元が高麗に征東行省設置。高麗王を長官とする
主にウィキペディアより(抜粋)

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(2014/08/09)
宮脇淳子、倉山満 他

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今度は白村江の戦いから明治維新期まで


高麗はコリョと読んで、これが英語に入ってコリアという名称になる。モンゴルの時代、ヨーロッパ人までが東アジアに訪れていたので、この時代の支那における各国・各地域の名称が現在の国際的名称につながる。日本は支那の南部で「ジッペングッ」っと呼ばれていたという。

モンゴルに降った段階で、北部、現在の北朝鮮に当たる部分は高麗から切り離されて遼陽行省に編入され、直轄領となる。現在の韓国に当たる部分のみが高麗として高麗王に支配させた。結局は、この地域に“朝鮮”という実態はなかったし、“朝鮮人”と呼ばれるべき主体もなかった。

そういえば、ウィキペディア年表によると日本遠征は忠烈王の進言ってなってたけど、たしか、趙彝とか言う奴がフビライに持ちかけたという話がある。
趙彝(ちょうい)は、進士に合格し、クビライの知遇を受け、クビライに、高麗に郷導(道案内)させて、日本に使者を送ることを勧める。「趙彝 帝所に出入りして、讒しりて曰く、高麗、日本と隣好す。元、使いを日本に遣わすに、本国をして郷導せしめよと。」
[高麗史日本伝〈下〉]

だいたい、忠烈王以降、代々の高麗王の母親はモンゴル人となる。代を経るにつてどんどんモンゴル人の血が濃くなり、彼らは現王朝の皇族と一緒に、夏は草原のテントで暮らし、冬は大都の宮廷でモンゴル式の暮らしをした。・・・つまり、モンゴル人ってことだな。趙彝という男も支那の進士に合格しているわけで、高麗王も含めて、彼らを朝鮮人というくくりで考えるのは、どうにもこうにも無理なんじゃないかな。

高麗人がこの時、一体どんな意識で日本遠征に望んだか。喜んで日本への手引に臨んだか、いやいや従わせられたかってところだけど、倉山氏も宮脇氏も、《喜んで》派。たしかにね。私も《喜んで》派。
遼東に連れて行かれた高麗人の二世の洪茶丘(元朝に使えた軍人 一二四四~一二九一)は、最初、文永の役の副司令官です。弘安の役でも高麗軍を率いてきます。副司令官と書いてあるけれども、肩書が、文永の役の時の副元帥から、東征都元帥に昇進している。だから司令官という言い方もできて、いち早くモンゴルの家来になった高麗人が、じつは日本に襲来したモンゴル軍の司令官だった。
本書P78
って状況考えれば、あんがい高麗人の日本遠征だったんじゃないかとさえ思わせる。そう言えば、韓国の教科書では、これを“日本征伐”って呼んでるもんね。



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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