『歴史のおしえ』 童門冬二
年末を迎え、かといって何一つめどが立たない。完結するのは大河ドラマくらいのものか。ズルズルと今年を引きずりながらなすすべもなく時を過ごすことが、来年の自分に申し訳なくて仕方がない。ごめんね。でも、頑張ってね、来年の自分❢
どうにも心が疲れている。こんな時はなんもかんも忘れて、文字どおり忘年会でも・・・、うわッ、忘年会がストレスになりそう。ダメだ・・・。いい本でも読もう。
“東日本大震災”で極度の無常観と無力感に襲われた私は完全に自分を見失い、腑抜けになった。無我夢中で生きる道を探した。自分自身の復興のためにである。幸い、私は本好き。すぐかたわらに先人の言葉があった。今は何よりも先人の言葉に縋ることだ。
この本は、童門冬二さんが毎日新聞夕刊の「言葉のビタミン」、自由民主の「水鏡之人」に発表したものを加筆修正し、編みなおしたものだそうです。
歴史通の著者によってえりすぐられた言葉、なんとその数、百。恥ずかしながら、名前さえ知らない人物もありました。もちろん、有名な言葉、それが生まれたエピソードもたくさんあり、楽しく読めて、なんかじわじわ身にしみるように感じます。
著者は、東関東大震災で味合わされた無常観、無力感を乗り越えるすべとして “先人の言葉にすがった” というが、自分の力でそれに触れることさえままならない私は、人が書いた本を読み続けた。気持ちとしては、同じものがあったんだろうと思う。
私は、章題に関係なく、ひたすら読み、考えた。読み終わった今、まったく未消化のまま。何を書いてもまともなものにはならないだろう。ということで、興味深いものをいくつか紹介するにとどめようと思う。もちろんこれを読んでいただいている人には、周知の場合も多々あろうかとは思いますが・・・。
『大田蜀山人』
「世の中は いつも月夜に米の飯 さてまた申しかねのほしさよ」とは、ただただ拍手。
「それにつけても金のほしさよ」は、細川幽斎が公家衆から、どんな上の句にもつながる下の句を、と意地悪にも求められて応じたのが最初であるという。
ということで・・・
銀も 金も玉もなにせんに それにつけても金のほしさよ
東海の 小島の磯の白砂に それにつけても金のほしさよ
『西郷隆盛』
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大事は成し得られぬなり」
政治が大きな変わり目にさしかかった感のある日本。そんな奴がどれだけ出るか。それとも・・・。
同じ西郷の言葉に、「虫よ虫よ 五ふし草(稲)の根を断つな 断たればおのれも 共に枯れなん」というのがある。虫は汚吏。共に枯れてしまうのか。
『山田方谷』
幕府は着物と同じで、家康公が素材をそろえ、秀忠公が縫い、家光公が整え、歴代の将軍が着用してまいりました。これを吉宗公が洗濯し、楽翁公が再び洗いましたが、いまは汚れとほころびがひどく、新調しなければならない状況です」
原文「爾来汚レト綻ト頗ル甚シク、新調セザレバ用ニ堪ヘズ」
これは藩主にして老中板倉勝静に向かって言っている。方谷はさらにとどめをさす。
「でもあなたはその着物を最後まで着なければなりません」・・・キビシー
『種田山頭火』
「濁れる水の流れつつ澄む」
ああっ、種田山頭火っていいなぁ。
『ビルジル・ゲオルギウ』
「たとえ世界の終末が明日であろうとも 私は今日リンゴの木を植える」
著者は、この言葉の中で、‘今日も’ではなく‘今日’と言い切るのが力強い、と解説している。この言葉が百番目。つまり最後の一語に選ばれました。
マヤの暦によれば、今日、世界は滅びるのだそうだ。昨日、彼はリンゴの木を植えたろうか。
埼玉の平地で五〇cmもの雪が積もったのも今年の事だった。ソチ五輪では浅田真央が日本人を泣かせた。消費税率八%がアベノミクスに水をさした。周辺国はあいかわらずに見えて、どこもだいぶ箍が緩みつつあるようだ。ロシアは騒がしいし、支那、北鮮はいよいよ。そうなれば、韓国だって・・・。
・・・それにつけても金のほしさよ

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
どうにも心が疲れている。こんな時はなんもかんも忘れて、文字どおり忘年会でも・・・、うわッ、忘年会がストレスになりそう。ダメだ・・・。いい本でも読もう。
過去記事です。
“東日本大震災”で極度の無常観と無力感に襲われた私は完全に自分を見失い、腑抜けになった。無我夢中で生きる道を探した。自分自身の復興のためにである。幸い、私は本好き。すぐかたわらに先人の言葉があった。今は何よりも先人の言葉に縋ることだ。
![]() | 『歴史のおしえ』 童門冬二 (2012/10/31) 童門 冬二 商品詳細を見る 先人の思索と行動から、いまの私たちは何を学ぶべきな のか? |
この本は、童門冬二さんが毎日新聞夕刊の「言葉のビタミン」、自由民主の「水鏡之人」に発表したものを加筆修正し、編みなおしたものだそうです。
歴史通の著者によってえりすぐられた言葉、なんとその数、百。恥ずかしながら、名前さえ知らない人物もありました。もちろん、有名な言葉、それが生まれたエピソードもたくさんあり、楽しく読めて、なんかじわじわ身にしみるように感じます。
著者は、東関東大震災で味合わされた無常観、無力感を乗り越えるすべとして “先人の言葉にすがった” というが、自分の力でそれに触れることさえままならない私は、人が書いた本を読み続けた。気持ちとしては、同じものがあったんだろうと思う。
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私は、章題に関係なく、ひたすら読み、考えた。読み終わった今、まったく未消化のまま。何を書いてもまともなものにはならないだろう。ということで、興味深いものをいくつか紹介するにとどめようと思う。もちろんこれを読んでいただいている人には、周知の場合も多々あろうかとは思いますが・・・。
『大田蜀山人』
「世の中は いつも月夜に米の飯 さてまた申しかねのほしさよ」とは、ただただ拍手。
「それにつけても金のほしさよ」は、細川幽斎が公家衆から、どんな上の句にもつながる下の句を、と意地悪にも求められて応じたのが最初であるという。
ということで・・・
銀も 金も玉もなにせんに それにつけても金のほしさよ
東海の 小島の磯の白砂に それにつけても金のほしさよ
『西郷隆盛』
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大事は成し得られぬなり」
政治が大きな変わり目にさしかかった感のある日本。そんな奴がどれだけ出るか。それとも・・・。
同じ西郷の言葉に、「虫よ虫よ 五ふし草(稲)の根を断つな 断たればおのれも 共に枯れなん」というのがある。虫は汚吏。共に枯れてしまうのか。
『山田方谷』
幕府は着物と同じで、家康公が素材をそろえ、秀忠公が縫い、家光公が整え、歴代の将軍が着用してまいりました。これを吉宗公が洗濯し、楽翁公が再び洗いましたが、いまは汚れとほころびがひどく、新調しなければならない状況です」
原文「爾来汚レト綻ト頗ル甚シク、新調セザレバ用ニ堪ヘズ」
これは藩主にして老中板倉勝静に向かって言っている。方谷はさらにとどめをさす。
「でもあなたはその着物を最後まで着なければなりません」・・・キビシー
『種田山頭火』
「濁れる水の流れつつ澄む」
ああっ、種田山頭火っていいなぁ。
『ビルジル・ゲオルギウ』
「たとえ世界の終末が明日であろうとも 私は今日リンゴの木を植える」
著者は、この言葉の中で、‘今日も’ではなく‘今日’と言い切るのが力強い、と解説している。この言葉が百番目。つまり最後の一語に選ばれました。
マヤの暦によれば、今日、世界は滅びるのだそうだ。昨日、彼はリンゴの木を植えたろうか。
埼玉の平地で五〇cmもの雪が積もったのも今年の事だった。ソチ五輪では浅田真央が日本人を泣かせた。消費税率八%がアベノミクスに水をさした。周辺国はあいかわらずに見えて、どこもだいぶ箍が緩みつつあるようだ。ロシアは騒がしいし、支那、北鮮はいよいよ。そうなれば、韓国だって・・・。
・・・それにつけても金のほしさよ


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