『「朝敵」と呼ばれようとも』 星亮一編
「朝敵」というだけなら広範囲に渡るが、舞台はあくまでも“維新”。この本は“維新史”ということですね。しかも、「朝敵」と呼ばれた者たちの“維新史”だから、反薩長の“維新史”。薩長全否定では、もちろんありません。でもね。薩長それぞれが、腐臭にも似た胡散臭さを持っているのも事実。より強い腐臭を放っていたからこそ幕府は倒れたのも、また動かしがたい事実。佐幕諸藩でも、事情は同様。でも、そのなかにも数多くの美しいものがあった。武士道と呼ばれるものもその一つ。圧倒的に不利な状況にあった薩長が、最終的に勝者のなることができたのは、武士道を含む江戸時代に培われた美しいものを、放棄したから。
薩長の卑劣と慶喜の卑怯。結果オーライという人もいる。のちに、差別主義者の白人に国土を踏みにじられる羽目になって、どこがオーライなのかよくわからない。
とにもかくにも、薩長が中心になって明治は始まった。明治は、その核の部分に腐臭を放つみっともなさがある。その後、徐々に傍流が取り入れられて明治の流れは少しずつ澄む。でも、核の放つ腐臭が変わらなかったのは、陸軍や海軍、帝国陸海軍に顕著。それでも“日本”が後世に残されたのは、傍流によってもたらされた“美しさ”が、敗戦に至るあちらこちらで発揮されていたから。
傍流によって受け継がれた、日本らしい“美しさ”とは、維新のあの時、「朝敵」と、薩長やそちらに寝返った連中から罵られながら、踏ん張った彼らの記憶が残っているから。
これまでこのブログ読んでくれてる人はお分かりでしょうが、私、この手の本が好きです。
この間読んだ『逆説の日本史21』で著者の井沢さんが言ってた。
『会津藩主松平容保は本物の武士である。少なくとも慶喜と比べれば、「月とスッポン」の違いがある。念のためだが、言うまでもなく「スッポン(下の下)」は慶喜の方である』
だけど、スッポンによって救われたものもあるっていう考え方もある。これも結果オーライ?
卑劣と卑怯の絡み合い。鶴田浩二じゃないけど、《何から何まで 真っ暗闇よ筋の通らぬ ことばかり右を向いても 左を見ても馬鹿と阿呆の 絡み合いどこに男の夢がある》って言うのを地で行ってたのが幕末。それでもってわずかに“男の夢”を見せてくれたのが、この本に名前を連ねる人たちということかな。そんでもって、流されはしたものの、多くの日本人は、本当はこの人たちの方が好きだった。
戊辰戦争研究会というのがあるそうで、この本はその会員や関係者の作品集という趣だそうです。ちょっと硬い傾向はあるけど、さすがは研究者、知らない人物もいたし、新たな興味をかきたてられました。
“あとがき”で、本編で《春日左衛門~知られざる英雄》をかいた‘あさくらゆう’さんが書いています。
どうやら、私が一廉の人物になれないのは、“狭隘な怒り”を脱しきれていないことが、原因の一つであるらしい。・・・一つね・・・、私の場合には二つも三つも四つも五つもあるけどね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
薩長の卑劣と慶喜の卑怯。結果オーライという人もいる。のちに、差別主義者の白人に国土を踏みにじられる羽目になって、どこがオーライなのかよくわからない。
とにもかくにも、薩長が中心になって明治は始まった。明治は、その核の部分に腐臭を放つみっともなさがある。その後、徐々に傍流が取り入れられて明治の流れは少しずつ澄む。でも、核の放つ腐臭が変わらなかったのは、陸軍や海軍、帝国陸海軍に顕著。それでも“日本”が後世に残されたのは、傍流によってもたらされた“美しさ”が、敗戦に至るあちらこちらで発揮されていたから。
傍流によって受け継がれた、日本らしい“美しさ”とは、維新のあの時、「朝敵」と、薩長やそちらに寝返った連中から罵られながら、踏ん張った彼らの記憶が残っているから。
これまでこのブログ読んでくれてる人はお分かりでしょうが、私、この手の本が好きです。
![]() | 『「朝敵」と呼ばれようとも』 星亮一編 (2014/11/01) 星 亮一 商品詳細を見る ー維新に抗した殉国の志士ー |
この間読んだ『逆説の日本史21』で著者の井沢さんが言ってた。
『会津藩主松平容保は本物の武士である。少なくとも慶喜と比べれば、「月とスッポン」の違いがある。念のためだが、言うまでもなく「スッポン(下の下)」は慶喜の方である』
だけど、スッポンによって救われたものもあるっていう考え方もある。これも結果オーライ?
卑劣と卑怯の絡み合い。鶴田浩二じゃないけど、《何から何まで 真っ暗闇よ筋の通らぬ ことばかり右を向いても 左を見ても馬鹿と阿呆の 絡み合いどこに男の夢がある》って言うのを地で行ってたのが幕末。それでもってわずかに“男の夢”を見せてくれたのが、この本に名前を連ねる人たちということかな。そんでもって、流されはしたものの、多くの日本人は、本当はこの人たちの方が好きだった。
戊辰戦争研究会というのがあるそうで、この本はその会員や関係者の作品集という趣だそうです。ちょっと硬い傾向はあるけど、さすがは研究者、知らない人物もいたし、新たな興味をかきたてられました。
“あとがき”で、本編で《春日左衛門~知られざる英雄》をかいた‘あさくらゆう’さんが書いています。
この本に出て来る彼らはそんな狭い怒りだけに立ちあがったのであろうか? その答えは否、と言いたい。そのような狭隘な感覚なら、彼らは一廉の人物にはなれなかったであろう。つまり、彼らの敵、脅威は海外であり、アジア各国が侵略された事実に一丸となって抗した、つまり『攘夷』と言えよう。 |
どうやら、私が一廉の人物になれないのは、“狭隘な怒り”を脱しきれていないことが、原因の一つであるらしい。・・・一つね・・・、私の場合には二つも三つも四つも五つもあるけどね。


- 関連記事