『愛は、あきらめない』 横田早紀江
いままで、あえて避けてきた。苦しくなることがわかっているんだもの。
“避けてきた” っていうのは、拉致被害者の家族の方が書いた本を読むこと。なかでも、拉致被害者の「お母さん」が書いたものを読むことを避けてきた。呼吸することさえできないほどの息苦しさ。むねをかきむしって、皮膚が破れて、血が流れ出て、肉を引きちぎり、骨をつかんで揺さぶるほどの感情。
これを悲しみと呼ぶのだろうか。純粋な高ぶり?混じりけのない痛み?・・・でも、「お母さん」の受けた仕打ちは私なんかの思いの及ぶような半端なものじゃないだろう。そこまでの仕打ちに、私は寄り添えない。
誤解を恐れずに言うなら、それならいっそ、見て見ぬふりをした方が潔くないか?

二〇〇〇年の五月から支援者さんたちが開いている「横田早紀江さんを囲む祈りの会」で、早紀江さんご自身が支援者の皆さんに語ったことが収録されている。まったく、『苦しい』なんて言ってたのが恥ずかしい。この本は鮮烈な祈りに貫かれていた。祈りの本だった。こんなにも宗教的な本を私は知らないよ。
・・・全く恥ずかしい話で、あえて最初に恥をさらしておいた。『いっそ、見て見ぬふりをした方が潔くないか』と書いた。だからこそ、『避けてきた』・・・と。『避けてきた』私が、あえてこの本を読んだのは、やはり事態が動いたから。北朝鮮の方から“解決”を呼びかけてきた。《夏》と期待したものの、残念ながら《秋》に持ち越され、動きが止まったまま《冬》になって年を越した。
私のような弱虫は、何事も成し得ない。かといって、この歳で生き方を変えようにも、残念ながら余力はない。できるのは、せいぜい祈ること。“冷戦の終了”、“ベルリンの壁の崩壊”、“チャウシェスクとエレナの公開処刑”、“ソ連の崩壊”。自分の生きているうちに起こるとは思っても見なかったことを幾つか経験した。老い先はさほど長くもないだろうが、まだまだ幾つかは大変化に遭遇できるだろう。まずはその最初が、“拉致問題完全解決”であることを、私は疑わない。
酔っていたが、元旦の初日の出にも祈った。ついでに二日目の日の出にも祈った。仏さまにも祈った。“解決”のその日まで祈り続ける。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
“避けてきた” っていうのは、拉致被害者の家族の方が書いた本を読むこと。なかでも、拉致被害者の「お母さん」が書いたものを読むことを避けてきた。呼吸することさえできないほどの息苦しさ。むねをかきむしって、皮膚が破れて、血が流れ出て、肉を引きちぎり、骨をつかんで揺さぶるほどの感情。
これを悲しみと呼ぶのだろうか。純粋な高ぶり?混じりけのない痛み?・・・でも、「お母さん」の受けた仕打ちは私なんかの思いの及ぶような半端なものじゃないだろう。そこまでの仕打ちに、私は寄り添えない。
誤解を恐れずに言うなら、それならいっそ、見て見ぬふりをした方が潔くないか?
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二〇〇〇年の五月から支援者さんたちが開いている「横田早紀江さんを囲む祈りの会」で、早紀江さんご自身が支援者の皆さんに語ったことが収録されている。まったく、『苦しい』なんて言ってたのが恥ずかしい。この本は鮮烈な祈りに貫かれていた。祈りの本だった。こんなにも宗教的な本を私は知らないよ。
・・・全く恥ずかしい話で、あえて最初に恥をさらしておいた。『いっそ、見て見ぬふりをした方が潔くないか』と書いた。だからこそ、『避けてきた』・・・と。『避けてきた』私が、あえてこの本を読んだのは、やはり事態が動いたから。北朝鮮の方から“解決”を呼びかけてきた。《夏》と期待したものの、残念ながら《秋》に持ち越され、動きが止まったまま《冬》になって年を越した。
私のような弱虫は、何事も成し得ない。かといって、この歳で生き方を変えようにも、残念ながら余力はない。できるのは、せいぜい祈ること。“冷戦の終了”、“ベルリンの壁の崩壊”、“チャウシェスクとエレナの公開処刑”、“ソ連の崩壊”。自分の生きているうちに起こるとは思っても見なかったことを幾つか経験した。老い先はさほど長くもないだろうが、まだまだ幾つかは大変化に遭遇できるだろう。まずはその最初が、“拉致問題完全解決”であることを、私は疑わない。
酔っていたが、元旦の初日の出にも祈った。ついでに二日目の日の出にも祈った。仏さまにも祈った。“解決”のその日まで祈り続ける。


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