『日本の「運命」について語ろう』 浅田次郎
『地下鉄に乗って』や、『一路』、『終わらざる夏』、『蒼穹の昴』などなど、浅田さんのこれまでの本の話がたくさん出てきて懐かしかった。小さな一冊だけど、“小説を書く”という形で浅田さんが格闘してきた時代や社会が詰め込まれた大きな一冊に思えた。
江戸、明治、大正、昭和と移り変わる時代のなかには、本来、私たち日本人が知っていなければならないのに知られていないことがある。今の自分を知るためには、近現代の歴史をこそ学ばなければならないのに・・・。昭和の戦争は“過去の罪科”と、押しつけられたものを後生大事に抱え込んで・・・、本当のことを知ろうともしない。
偉そうな言い方だな。自分だってそうだったくせにね。自分を真っ当にしてくれたのは、やっぱり父母や祖父母のおかげかな。・・・とっくに死んじゃったけどね。父母や祖父母の生き抜いた時代、明治、大正、昭和。父母や祖父母にも青春と呼ばれる時代があって、連れ合いに巡り合って、子を成して・・・。そんな時代を“過去の罪科”では片づけられないよね。浅田さんは、『戦争で何がおこったかなどを次の世代に伝える、送ることは私たちの義務』と言い切る。
![]() | 『日本の「運命」について語ろう』 浅田次郎 (2015/01/21) 浅田 次郎 商品詳細を見る 日本人は、自分を取り戻さなければ… |
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第一章に《近代日本の勢いと未熟さ》という小見出しをつけられた部分がある。これ、私も同感。罪というならば、日本は未熟だった。「列強の植民地になってはならない」と必死になって新たな国づくりに奔走して、未熟ながらも列強の一画に食らいついた。その未熟すら罪と言われるのなら、甘んじて受け入れよう。だけどそれなら、もっと責められるべきは他にある。
・・・困ったな。・・・実は、本編を読み終えて、この記事を書きい始めたのね。んで、冒頭の本を紹介して「懐かしいな」・・・なんてね。・・・で、そのあと“あとがき”を読んでわかったことなんだけど、『したがって本音は、小説の読者の方々にとっては著者自身の作品改題であり・・・』と書いてありました。まるで、そのまんまでした。こりゃまた失礼いたしましたっと。
これ、講演録だそうです。その分だけ、ずいぶんと読みやすく仕上がってました。“どう生きるか”について、書かれた本です。
近世と近代を舞台とした、ここ百五十年間のどこかしらを書きづづけているうちに、人間と社会の本質的な変容に気付いた。 昔の人は個の利益よりも衆の利益を優先し、現在よりも未来を大切に考えていた。時代が下るほどにそうした理念は失われて、人はより刹那主義と個人主義のなかに幸福を見出すようになった。 P226 |


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