めんどくせぇことばかり 『日本人はなぜ震災にへこたれないのか』 関裕二
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『日本人はなぜ震災にへこたれないのか』 関裕二

二〇一五年三月、あれから四年がたちました。東日本大震災以来、日本はそれまでにはなかった違う側面からアプローチされることが増えたように思います。それはある意味、「どうして日本人はこのような大きな悲劇に勇敢に、毅然と立ち向かうことができるのか」という外からの目に答えるために、自らを見つめなおしているかのように・・・。

この本、関裕二さんの本で、日本の古代史を、その専門家たちが専門家ゆえに見過ごしてきた新たな切り口から見つめなおし、解き明かしていく、言わば古代史謎解き専門家みたいな人です。以前からファンで、この本が出版された時も、関裕二さんの本じゃなければ読んでないと思います。だって、題名がベタベタなんだもん。

いけね。昨日、関さんの本の記事書いたばかりだった。・・・ま、いっか。

これは、二〇一一年八月二二日の記事をもとにしたものです。

 日本人は自然に頭を垂れて生きてきた。それは敵対すべきものではなく、征服すべきものでもなかった。ただ共にあるべきものだった。しかし、十九世紀、日本は欧米の圧倒的な暴力にさらされた。その巨大な波を乗り越えるため、日本人は欧米の世界観を受け入れた。しかし、乗り越えたかに思えたその力によって叩き伏せられた。組伏せられて、戦後を迎えた。自然と敵対し、征服して従えることに疑問を持つこともなかった。そして、三月十一日。

日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
(2011/07/16)
関 裕二

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私たち日本人は、明治維新において、自然の前に頭をたれることを放棄して一神教的世界観を受け入れた。 
第一章 日本列島はどのような災難に見舞われてきたのか
第二章 災害にへこたれない日本人
第三章 なぜ日本人はよく笑うのか 
第四章 目の前にできた転換への道
 
       

読み慣れた著者の作品で、すんなり心に落ちた。第一章、第二章と、丁寧に日本人の宗教的心象を描きあげる。その中で、本来の日本人の宗教的心象は、藤原氏によって再構成された神道ではなく、修験道のなかにこそ、色濃く繁栄されてきたことを解き明かしていく。それこそまさに、縄文以来一万年間、日本人に刻み込まれた自然と共にある生き方だった。
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第三章では、日本人の宗教的心象の本質である自然信仰、健全なる多神教を、日本人自らが放棄してきた様子を描き出す。自分たちが世界を制覇することを正義とする一神教、しかもそれが圧倒的な暴力をもって襲いかかって来る時代。明治維新である。日本人は、自然の前に頭をたれることを放棄して一神教的原理を受け入れた。受け入れずにその圧倒的な力に抗して国を保つことはできなかったろう。修験道に裏打ちされた神仏習合を解体し、神道を再構成した。こうして一神教的暴力に対抗して、日本は袋だたきにされた。戦後、日本は欧米の世界観こそが正義であることを完全に受け入れさせられた。疑問をはさむことさえ許されなかった。日本人自らがその最も優れた実践者となった。
                                                                              
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だから、三月十一日、日本人は自然の威力の前に泣き叫び、ののしり合い、奪い合うという醜態をされしているはずだった。世界各地で災害が発生したときに必ず見られる無様な有様を、三月十一日の日本人もさらしていてもおかしくなかった。しかしそうはならなかった。親しい者の遺体に縋りつきながらも、日本人は隣人に心を配った。救援の手に整然と列を作り、「ありがとう」と感謝をささげ、我慢して譲り合いさえした。一神教的原理を受け入れることで一神教的正義に対抗し、敗れ去ってその前に跪いた。この過程を通しても、日本人の宗教的心象のコアの部分は、全く破壊されていなかった。
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第四章、大団円である。第三章でその姿を現した日本人の宗教的心象のコアとは、一万年をこえた縄文によってもたらされたものであり、捨て去ろうとしてさえ捨てることのできない日本人の心そのものであるという。そこにこそ、日本人のへこたれない理由があるという。日本人は、そのように生きるべきなのだろう。さらに本書は、一神教の本質を明らかにしていく。明らかにした上で、あくまで多神教徒として、一神教徒と渡り合っていく道を探って行かなければならなとまとめる。

おもしろかった。

日本人はこの百数十年間、その本質を捨て、一神教的原理を受け入れようとして生きてきた。一神教世界は日本を打ち負かし、完全にそれを受け入れることをせまり、日本人はそうした。そうしたのだと思っていた。それでもなお、捨てきれない‘日本人の本質’が、私たちの奥底に眠っていた。
二〇一一年にはこんなことを書いてたんだな。前に書いたものを読み返すのは、けっこう恥ずかしいもんだけど、まあまあ読めるかな。《歴史》とは、明日を生きるために学ぶもの。そのためにも、自分の行動原理を知っておかなければならない。「自分たちがどんな存在なのか」ということである。

それって、戦後に日本人に、決定的に不足しているものだね。東日本大震災に教えられたんだもんね。





    


 


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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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