信仰告白(覚書)『イスラーム 生と死と聖戦』 中田考
一般には、あんまり知られた人じゃなかったはずだけど、以下のニュースで、一気に有名になっちゃいましたね。中田考さん。
中田考さん。ムスリム名はハサン。以前からカリフ制を主張していて、アメリカには入国できないんですよね、この人・・・。イスラム国のバグダディがカリフを名乗ったとき、最初に思い出したのがこの人だった。
ムスリムのこの人が言うんだから間違いない。ムスリムになるのはとっても簡単なんだな。
とってもお手軽ですね。二人の立会人にしても、その他のムスリムへの紹介者としての役割以上の価値をもつわけではないそうです。なんだか本質的に、アッラーとムハンマドを信じるならそれでじゅうぶんムスリムって感じ。神と個人の関係なんだな。
・・・レレレ? キリスト教社会は、その発想にたどり着くまでに一五〇〇年かかってるよね。・・・今は、それはこっちに置いといて・・・。ここでは、「ラーイラーハイッラーッラー」について。これって、「アッラーのほかに神なし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」だよね。五行の一つの“信仰告白”の言葉だよね。シャハーダっていうの?“信仰告白”、“礼拝”、“喜捨”、“断食”、“巡礼”で五行だよね。アラブとだとこう言うんだ。
この言葉、前から好きだったんだ。何がっ、て言われても困るんだけど、好きだから好きなんだ。口に出して言ってごらん。目を閉じてさ・・・。・・・・・・・・・・・・ほーら、なんだか大いなるものに包み込まれているような安心感を感じませんか。・・・さあ、新しい世界へ・・・・・・ごめんなさい。調子に乗りました。・・・ただ、このリズムが好きなだけです。
それにしてもね。この中田考さんなんだけどね。たしかにイスラム国の関係で、名前が広く世に知れましたよね。でも、上記の説明、もう一度読んでみて・・・。すーごく易しく、わかりやすく書かれてるんだよね。おそらくこれは、中田さんのやさしい人柄だと思います。そのやさしさの背景にあるのが、やっぱり強さでしょうね。その強さの源は、アッラーと教えにしたがった正しいことをしているという信念でしょう。
中田氏をよく知る池内恵さんが“あとがき”を書いている。中に、中田氏とイスラム国の関係に触れた部分がある。
と書かれている。
ムスリムとして、近代的法制度云々ではなく、ひたすら神との関係において生きている人なわけだから、ある意味、そのような立場や見解は当然なわけだよね。・・・まあ、池内さんがこれを書いたのは二〇一四年一〇月の段階で、湯川さん、後藤さんの事件よりも前だけどね。いま、中田さんはイスラーム国に対してどんな考えを持ってるんだろう。

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NAVERまとめ イスラム国~北大生をつなぐ「元教授」“ハサン”中田考とは? 5分でチェック http://matome.naver.jp/odai/2141281739324530401 zakzak 2015.01.22 パイプ持つイスラム法学者が交渉へ名乗り 元同志社大教授の中田考氏「シリアに渡る用意ある」 http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150122/frn1501221528006-n1.htm |
中田考さん。ムスリム名はハサン。以前からカリフ制を主張していて、アメリカには入国できないんですよね、この人・・・。イスラム国のバグダディがカリフを名乗ったとき、最初に思い出したのがこの人だった。
![]() | 『イスラーム 生と死と聖戦』 中田考 (2015/02/17) 中田 考 商品詳細を見る ームスリムの死生観を分かりやすく解説ー |
ムスリムのこの人が言うんだから間違いない。ムスリムになるのはとっても簡単なんだな。
ムスリムには、国籍も血統も関係なく、誰でもなれます。入会手続きも入会金も必要ありません。二人のムスリムの立会いのもとで、「ラーイラーハイッラーッラー、ムハンマドゥンラスールッラー」と唱えれば、誰でもその場でムスリム社会の一員になることができます。 |
とってもお手軽ですね。二人の立会人にしても、その他のムスリムへの紹介者としての役割以上の価値をもつわけではないそうです。なんだか本質的に、アッラーとムハンマドを信じるならそれでじゅうぶんムスリムって感じ。神と個人の関係なんだな。
・・・レレレ? キリスト教社会は、その発想にたどり着くまでに一五〇〇年かかってるよね。・・・今は、それはこっちに置いといて・・・。ここでは、「ラーイラーハイッラーッラー」について。これって、「アッラーのほかに神なし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」だよね。五行の一つの“信仰告白”の言葉だよね。シャハーダっていうの?“信仰告白”、“礼拝”、“喜捨”、“断食”、“巡礼”で五行だよね。アラブとだとこう言うんだ。
最初の「ラー」は「ない」という意味で次にくる言葉を否定する言葉です。そして次の「イラーハ」、これが「神」と訳されていることばです。そこで「ラーイラーハ」とは「神はない」という意味になります。後半の「イッラーッラー」は、実は「イッラー」と「アッラー」の二つの語が発音の上で重なっているのです。「イッラー」は英語風に訳すとbutですから、「イッラーッラー」を直訳すると「しかしアッラーは除く」という意味になります。前半と後半を合わせて「アッラーのほかに神なし」となります。 |
この言葉、前から好きだったんだ。何がっ、て言われても困るんだけど、好きだから好きなんだ。口に出して言ってごらん。目を閉じてさ・・・。・・・・・・・・・・・・ほーら、なんだか大いなるものに包み込まれているような安心感を感じませんか。・・・さあ、新しい世界へ・・・・・・ごめんなさい。調子に乗りました。・・・ただ、このリズムが好きなだけです。
それにしてもね。この中田考さんなんだけどね。たしかにイスラム国の関係で、名前が広く世に知れましたよね。でも、上記の説明、もう一度読んでみて・・・。すーごく易しく、わかりやすく書かれてるんだよね。おそらくこれは、中田さんのやさしい人柄だと思います。そのやさしさの背景にあるのが、やっぱり強さでしょうね。その強さの源は、アッラーと教えにしたがった正しいことをしているという信念でしょう。
中田氏をよく知る池内恵さんが“あとがき”を書いている。中に、中田氏とイスラム国の関係に触れた部分がある。
(中田氏は)ジハードによる武力闘争をシリアで行うことには強く賛同していると見られます。「イスラーム国」についてはその手法の一部が適切でないと批判していますが、イスラーム法学的に明確に違法とまでは言えないと解釈しているようであり、その存在を肯定的にみて、接触を図っていることは、公言している通り、おそらく事実であると思われます。 |
ムスリムとして、近代的法制度云々ではなく、ひたすら神との関係において生きている人なわけだから、ある意味、そのような立場や見解は当然なわけだよね。・・・まあ、池内さんがこれを書いたのは二〇一四年一〇月の段階で、湯川さん、後藤さんの事件よりも前だけどね。いま、中田さんはイスラーム国に対してどんな考えを持ってるんだろう。


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