めんどくせぇことばかり 『イスラーム 生と死と聖戦』 中田考
FC2ブログ

『イスラーム 生と死と聖戦』 中田考

「イスラーム」という言葉は、「従う」という意味なんだそうです。それがこの宗教の名前として使われているということは、「従う」という意味だけで、十分にこの宗教の様子が表されているということだよね。

・・・従う・・・。もちろん、唯一の神アッラーに・・・。その全幅的な信頼は、まるで“南無阿弥陀仏”、念仏をさえ思わせる。それは現実世界においては預言者に“従う”のであり、預言者の死後には“カリフ”に従うということになるんだという。

“従う”宗教であるにもかかわらず、“従う”一般信者入るものの、現実世界において彼らを導く、“従わせる”者たるカリフがいない。

ムスリムは自然法に従って生きる。ムスリムにとっての自然法とはシャリーア。シャリーアは“イスラム法”と訳されるが、意味合いとして近いのはムスリムの掟。日本人にしてみれば、まあ、御成敗式目の“道理”みたいなもんか?カリフがいないために、ムスリムは領域国家に構成員たらざるを得ず、“道理”に合わない国家による実定法を受け入れさせられている。

今や、ムスリムという“従う”者を“従わせる”者は、国家となった。中田考さんによれば、ムスリムにとって、今や国家がアッラーに変わった。


『イスラーム  生と死と聖戦』 中田考『イスラーム 生と死と聖戦』 中田考
(2015/02/17)
中田 考

商品詳細を見る
ームスリムの死生観を分かりやすく解説ー
序章  イスラームとジハード
第一章  イスラーム法とは何か?
第二章  神
第三章  死後の世界
第四章  イスラームは政治である
第五章  カリフ制について考える
第六章  「イスラーム国」と真のカリフ制再考
 解説  自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について 池内恵

認識を改めました。以前、何かの本で読んだ誰かの考えで、「もし、過去において、日本への布教に取り組んだのがキリスト教ではなくイスラム教だったら、日本人はそれを受け入れていたかもしれない」という考え方がある。私、この本を読んで確信した。私たちはもしかしたら天皇陛下をカリフと呼び、今とおんなじように自然災害をごく当たり前の悲劇として受け入れながら、唯一神アッラーの教えを受け入れていただろう。おそらく、歴史上最も几帳面なムスリムとなって・・・。

「生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ、また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物を治めよ」

キリスト教は神の次位に人間を置き、自然を従わせた。イスラーム教は神の位置をもっと高め、他のすべてを同一の枠にくくった。日本人は自然と人間を区別しない。動物だけじゃなく、植物だけじゃなく、石ころまで含めてね。同一の枠の中にある八百万神への信仰と、それをまとめあげる“カリフ”の存在が続くのなら、・・・。

もしそうなっていたら、今、天皇陛下は世界のムスリムを統べるカリフとして皇后陛下とともに世界のムスリムを導く立場にあったかもね。





    



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
関連記事

テーマ : 精神世界
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事