追悼 船戸与一様
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とはいえ、やはり、『満州国演義』は、終盤、精彩を欠いた。ブログにもそう書いた。船戸与一さんの本を読んで、こんなにも、ワクワクもドキドキもしないことは初めてだった。胸腺がんだったという。どのような病状であったかは分からないが、途中までは満州者のバイブルにもと期待した。
あの戦争に関する認識そのものに、個人的には不満はあったが、それ以上に、いつもの独創性に欠ける気がした。病状との関係もあったのかも・・・。
以下は、『満州国演義 第八巻』を読んでいる頃に書いたものです。
以下の記事は二〇一二年九月十七日に書いたもの。あれから一年半。今、二〇一三年の十二月二十日に出された『満州国演義8 南冥の雫』を読んでいる。『満州国演義1 風の払暁』が出たのが二〇〇七年四月。もう七年前になろうとしている。八巻で終わりと言われていたが、これまでのいきさつ、謎めいたいろいろ、果たしてこの一冊で決着がつけられるのか。・・・ということで、八巻の予告的過去記事です。
第七巻では一九四〇(昭和十五)年、ヨーロッパ戦線におけるドイツの破竹の快進撃から、日独伊三国軍事同盟の締結、大東亜戦争の開戦、そして日本がシンガポールを攻略する一九四二(昭和十七)年二月までが語られている。 満州はこの時期、歴史の動きを語る上で主要部隊とはなり得ない。敷島家四兄弟は、それぞれ時代のうねりの影響を受けながら生きていくが、その歴史のうねりがあまりにも大きすぎ、四人の動向はそれぞれうねりに飲み込まれて見え隠れする。一郎、四郎に関しては取り上げるほどのことも起こらず、次郎、三郎はマレー上陸作戦からシンガポール攻略に向かう日本陸軍と行を共にする。 ラストの部分で、シンガポール華僑虐殺事件が描かれる。南京虐殺の時と同様、真新しさはない。使い古されてきた“歴史認識”が、船戸与一氏のペンで、彼風に書き直されたということにすぎない。もちろん、当時の日本という国家の持っていた未熟さ、日本政府の持っていた未熟さ、日本軍の持っていた未熟さが描き出されることは歓迎だ。しかしこの戦いが、歴史の中でどのような意味を持つのかという視点に欠けると、私は思う。コミンテルンの謀略、ルーズベルトの腹積もりも描かれているが、いかにも弱い。もっと、白人社会の動揺とアメリカを中心とした近代史の焼き直しを書いて欲しい。 当初は満州もののバイブルとなる作品を期待したが、いまやそれはない。過去の会津戦争にまつわる因縁をにおわせながら、昭和の戦争の時代を背景に描かれた壮大な家族ドラマ。それがこの作品の本質だと思う。 第七巻は、あまりにも激しい歴史のうねりの中で、敷島家四兄弟や、この四兄弟と関わりあう間垣徳蔵らの存在が、かき消されがちであると感じた。彼らの生と死が、日本の敗戦という終着点にどのようにまとめあげられていくのか、次巻に期待したい。 読まざるを得ない私がもどかしい。 |
私がのめり込んだのは、『蝦夷地別件』から。今確認したら、一九九五年の作品だった。二十年前か・・・。以来、おそらく全部読んだと思うんだけど・・・。
贔屓の作家さんがなくなるのは、とても寂しい。私の周辺に通じていた異次元世界への通路の一つが、音を立ててしまってしまったような、そんな気がする。
今までありがとうございました。いいところへ、お行きください。

