天女を抱こうとした釈迦(覚書)『仏教の釈迦・キリスト教のイエス』 ひろさちや
釈迦は天女を得ようとした
著者は、「人間は人生のそれぞれの局面にあって特定の行動を選択します。が、その選択は、すべてその局面において評価されなければなりません。釈迦は二十九歳の時に出家を選択しました。その選択は二十九歳の時点において評価すべきです」というが、まったくその通り。当時のインドに、「出家によって来世は天界に生まれ、天女を抱ける」という考えがあったなら、釈迦だけがそこから自由であったというのはおかしい。俗世のできごとかから決別したということが結果として《仏陀》となることにつながったが、出家の時点では来世の天女を抱いた天界の生活が思い描かれていたというのはとても面白い。
それにしても、『ブッダチャリタ』っていう叙事詩の中のヤショーダラーの恨み事はいいなぁ。なんかこう、ぞくぞくするものを感じる。
仏教がインド社会から消え失せたのは・・・
釈迦が作った仏教教団をサンガといった。サンガの特徴は徹底的な平等主義で、社会的身分、職業、カーストさえも問題とされなかった。しかし、カーストを無視したこの平等主義ゆえに、サンガの構成員全員が、そのうちの最低のカーストの人間と同じに扱われた。構成員のみならず、その支援者である在家の信者まで含めて、非常に低いカーストの人間にされた。
篤く三宝を敬え
聖徳太子も、十七条憲法の二番目の項目として『仏法僧を敬え。それが命あるものの最後で、最上のよりどころである』としている。「三宝に帰依しなさい」ということだけど、驚いた。「帰依する」の本来の意味は、「避難所に逃げ込みなさい」だそうだ。仏教とは逃げ込む場所だったんだ。
仏教に逃げ込めば、もう大丈夫。そういう地位を、世間が仏教に許していた。それは権力も許していたということになるわけで、《彼岸をめざすもの》なら、かかずらわる必要もないという認識なんだろう。
ところがイエスは違う。イエスは人の世の価値観に喧嘩を売った。金持ちが不幸で貧乏人が幸せだと・・・。それは当時のユダヤ人社会のおかれた状況が、イエスという宗教者が人の世の外に立つことを許してくれなかったということなのかなぁ
エリ、エリ、レマ、サバクタニ
『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』・・・十字架上のイエスが神をのろう悲痛な叫びのように受け取っていたけど、旧約聖書の「詩篇」にある句だそうですね。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
著者は、「人間は人生のそれぞれの局面にあって特定の行動を選択します。が、その選択は、すべてその局面において評価されなければなりません。釈迦は二十九歳の時に出家を選択しました。その選択は二十九歳の時点において評価すべきです」というが、まったくその通り。当時のインドに、「出家によって来世は天界に生まれ、天女を抱ける」という考えがあったなら、釈迦だけがそこから自由であったというのはおかしい。俗世のできごとかから決別したということが結果として《仏陀》となることにつながったが、出家の時点では来世の天女を抱いた天界の生活が思い描かれていたというのはとても面白い。
それにしても、『ブッダチャリタ』っていう叙事詩の中のヤショーダラーの恨み事はいいなぁ。なんかこう、ぞくぞくするものを感じる。
私の心は嫉妬といさかいを好みますが、正しい行いを好む主人は、そのことをたびたびそれとなく知って、恐れることなく楽々と怒りっぽい私を捨ててインドラの国で天女たちを得ようとしたに違いありません。 天女たちを得るために、王位と私のひたむきな愛を捨てて夫は苦行をしているわけですが、その女たちがどんな美しい姿をしているのか私には気がかりです。 |
![]() | 『仏教の釈迦・キリスト教のイエス』 ひろさちや (2013/11/21) ひろさちや 商品詳細を見る 信仰の立場からは、人間扱いできない二人です |
釈迦が作った仏教教団をサンガといった。サンガの特徴は徹底的な平等主義で、社会的身分、職業、カーストさえも問題とされなかった。しかし、カーストを無視したこの平等主義ゆえに、サンガの構成員全員が、そのうちの最低のカーストの人間と同じに扱われた。構成員のみならず、その支援者である在家の信者まで含めて、非常に低いカーストの人間にされた。
篤く三宝を敬え
聖徳太子も、十七条憲法の二番目の項目として『仏法僧を敬え。それが命あるものの最後で、最上のよりどころである』としている。「三宝に帰依しなさい」ということだけど、驚いた。「帰依する」の本来の意味は、「避難所に逃げ込みなさい」だそうだ。仏教とは逃げ込む場所だったんだ。
仏教に逃げ込めば、もう大丈夫。そういう地位を、世間が仏教に許していた。それは権力も許していたということになるわけで、《彼岸をめざすもの》なら、かかずらわる必要もないという認識なんだろう。
ところがイエスは違う。イエスは人の世の価値観に喧嘩を売った。金持ちが不幸で貧乏人が幸せだと・・・。それは当時のユダヤ人社会のおかれた状況が、イエスという宗教者が人の世の外に立つことを許してくれなかったということなのかなぁ
エリ、エリ、レマ、サバクタニ
『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』・・・十字架上のイエスが神をのろう悲痛な叫びのように受け取っていたけど、旧約聖書の「詩篇」にある句だそうですね。
私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きの言葉も聞いて下さらないのか 私の神よ 昼は、呼び求めても答えて下さらない 夜は、黙ることをお許しにならない だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方 私たちの先祖はあなたに依り頼み、依り頼んで、救われてきた 助けを求めてあなたに叫び、救い出され、あなたに依り頼んで、裏切られたことはない |


最初におにぎらずを知った時は、動揺しましたね~。「一体何なんだ、これ」ってね。初めて作ったのが半年前。その時は、《かにカマと千切りたまねぎのマヨネーズ和えのおにぎらず》。 “和”・・・のイマージのまま作ったら、大間違い。ボケた味になってしまって、美味くなかった。
おにぎらずは、おにぎりの変形ではない。サンドウィッチの変形。かつサンドやハムカツサンド、メンチサンド、ハンバーグサンド、焼き肉サンドなどなどの、その流れの先にあるのがおにぎらず。弁当のはっきりした味のおかずなら、なんでも挟んでいいってかんじだよね。

そう、この『おにぎらずアイデア帳』で紹介されているレシピは100品以上。100品以上ということは、結局は変幻自在、ルール無用にデスマッチ。
そういう時って、結局、シンプルに戻っていくもんじゃないかな。おにぎらずがサンドウィッチの発想から始まったものであるなら、その戻る先って、《ハムカツサンド》。・・・え~、あなたはただの《ハムサンド》。まあ、そのへんは人それぞれ。
小学校の頃、校門の前に赤岩っていう肉屋があって、放課後校庭で遊んでたら、四方田先生に職員室の窓から呼ばれた。走って行くと、給食の残りのコッペパンと三十円を渡されて、「赤岩で二つに切ったハムカツ挟んでもらってこい」って。「ソースたっぷりかけてもらえ」って。・・・私が赤石肉屋で五十円に値上げしたハムカツを買って食ったのは、高校生の時の登山の帰り。
そういえば、赤岩肉屋には“シン君”っていう同級生がいて、パンパンに張ったいつも笑顔の男の子だった。メンチカツみたいな、美味そうな顔の子だった。
最後にこういう言い方するのはズルいといわれるかも知れないが、私、自分で食うなら、おにぎりに軍配を上げます。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
おにぎらずは、おにぎりの変形ではない。サンドウィッチの変形。かつサンドやハムカツサンド、メンチサンド、ハンバーグサンド、焼き肉サンドなどなどの、その流れの先にあるのがおにぎらず。弁当のはっきりした味のおかずなら、なんでも挟んでいいってかんじだよね。
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最初に紹介されたのは『クッキングパパ』だったそうです。さすがだね、荒岩課長。おにぎらずの華麗な切り口に、家族を大喜びさせた荒岩課長の満足そうな顔が目に浮かぶ。 そういえば、本当に、荒岩課長が家族や部下に振る舞いそうな料理だね。 |
そういう時って、結局、シンプルに戻っていくもんじゃないかな。おにぎらずがサンドウィッチの発想から始まったものであるなら、その戻る先って、《ハムカツサンド》。・・・え~、あなたはただの《ハムサンド》。まあ、そのへんは人それぞれ。
小学校の頃、校門の前に赤岩っていう肉屋があって、放課後校庭で遊んでたら、四方田先生に職員室の窓から呼ばれた。走って行くと、給食の残りのコッペパンと三十円を渡されて、「赤岩で二つに切ったハムカツ挟んでもらってこい」って。「ソースたっぷりかけてもらえ」って。・・・私が赤石肉屋で五十円に値上げしたハムカツを買って食ったのは、高校生の時の登山の帰り。
そういえば、赤岩肉屋には“シン君”っていう同級生がいて、パンパンに張ったいつも笑顔の男の子だった。メンチカツみたいな、美味そうな顔の子だった。
最後にこういう言い方するのはズルいといわれるかも知れないが、私、自分で食うなら、おにぎりに軍配を上げます。


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