終戦70年:ポーランド式典
毎日新聞 2015/5/8 終戦70年:ポーランド式典にウクライナ大統領も出席 http://mainichi.jp/select/news/20150509k0000m030090000c.html (抜粋) ポーランドのコモロフスキ大統領は「我々は大戦中、ドイツとソ連の全体主義の被害者となった。大戦の終わりは、ソ連による何十年もの支配の始まりに過ぎなかった」と強調。その上でロシアによるウクライナ南部クリミア半島の編入を「1939年以来の時代錯誤の行動で受け入れられない」と批判した。 ポロシェンコ大統領も「侵略と編入の歴史を繰り返すわけにはいかない」とロシアを強くけん制した。 |
ロシアや支那の主催する終戦70周年記念式典が話題になるけど、なんともしゃらくさい。でも、ポーランドが主催するっていうんなら、・・・まあね。それでもこの程度の“振り返り”しか行われないのであれば、やっぱりやる価値はないか。
第二次大戦の原因は、基本的にパリ講和会議にある。この会議に出席したケインズは、『平和の経済的帰結』で会議が決定したドイツの支払うべき賠償額を批判した。ケインズが提唱した額は20億ポンド。これはドイツが連合国に与えた直接的損害額にほぼ一致する。しかし、パリ講和会議が出した決定1320億金マルク(金4万7312)は、当時のレートで60億ポンド。ケインズの提言の3倍。当時のドイツのGNPの20年分。ケインズに言わせれば・・・
問題となるのは賠償額だけではない。民族の誇りという意味では、領土の割譲はより大きな問題となる。日本が租借を引き継いだ山東省や、信託統治した南太平洋の諸島あたりの問題じゃない。ドイツの母体となったプロイセンの故郷を、パリ講和会議はドイツから奪った。以下は、駐米英国大使ロシアン卿(在任一九三九~四〇)の一九三七年六月二九日、王立国際問題研究所での演説である。
民族自決の原則がドイツに適用されるのであれば、オーストリア、ズデーテン、ダンツィヒ、そしておそらくメ―メル地方もドイツに編入されなければならない。されにポーランド領のシレジア地方やポーランド回廊についても国境の再調整が必要である。 |
事実、ドイツのズデーデン地方要求jに、英首相ネヴィル・チェンバレンは宥和政策を持って臨み、その間にスピット・ファイヤーの大増産体制を作ったそうだ。ところが、このイギリスの政策に待ったをかけた国がある。アメリカだ。ミュンヘン会談直後、フランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領は、駐英大使ジョゼフ・ケネディに対して、「ヒトラーに対する有効な外交は軍事力の誇示しかない、それをチェンバレン首相にわからせよ」と支持している。宥和外交の全面中止も考慮すべきだ、とも伝えさせた。
FDRは偏執狂だ。彼はヒトラーのUボートで苦しむ英国を無視し続ける。かつての宗主国が膝を屈して助けを乞う、やっと武器貸与法を作り、オンボロ駆逐艦を提供した。その法律番号が「1776」。英国のいじめを脱して米国が独立を達した年だ。・・・別にイギリスに同情する気はないが・・・。
FDRのもう一つの大きな特徴が、ソ連に対する懐の甘さだ。彼がアメリカ大統領という地位になければ、私は彼をコミンテルンのスパイと信じて疑わない。そしてポーランドにドイツと妥協することを決して許さず、結果として東ヨーロッパすべてをスターリンに献上した。・・・あの、バカ・・・
一九三九年九月、ポーランド陸軍は西からはドイツ機甲化軍団に侵略された。無数の戦車や戦闘機がポーランドを襲った。東からはスターリンの軍隊が侵入した。ポーランドは勇敢に戦った。しかし圧倒的な敵の力の前にはいかんともし難かった。戦後、イギリス外務省が公開した資料によれば、カチンの森で二万二千人が、ソビエトの他の場所では八千人のポーランド陸軍士官が虐殺された。資料は、イギリスがこのソ連の行為を意図的に隠蔽したことを示した。
当時、駐ポーランド英国大使だったオーウェン・オマリーはカチンの森の殺戮の模様を次のように記している。
抵抗するものにはコートを頭にフードのようにかぶせ、紐できつく結んだ。そうしておいて、死刑執行人たちはポーランド軍人を予め掘ってあった穴の前まで引き立てた。のちに発見された死体の頭部をコートが覆っていたのはそういう理由である。そのコートの生地には銃弾の突き抜けた穴がハッキリと残っていた。ロシア軍は殺戮を終えると、死体の転がった穴に土を埋め戻し、さらには松の苗木を植えて隠蔽した。 |


実は、まともに歩けばもっと人にあったかもしれない。今日は、道を外れてみました。たまたま正規の山道に戻った時にあったのが、さっきの人。
道を外れると入っても、山仕事の人は入ってるからね。深入りしなけりゃけっこう歩けるくらいの跡はついてる。入ってみたら、先の方に、けっこう松の大木がある。「へぇ~、こんな大木があるんだ」・・・そう思ったらもう止まらない。谷に降りて、急斜面を横切り、尾根に向けて直登。ああ~、楽しい。夢中になっちゃった。
ちょっと足が痛い。休もう。 な~んにも持ってこなかった。・・・喉が渇いた。そんな時はこれ。イタドリ。ウィキペディアで見てみたら、別名はスカンポ、イタンポ、ドングイ、ゴンパチ、エッタンだって。でも、うちの方ではこれをシーカンボと読んでた。遊びに行ってのどが渇いたら、これの皮を向いて水っぽい茎を食った。 | ![]() |
![]() | ガキじゃありませんからね。ちゃんとナイフ使ってね。皮も歯でかんで外さずに、ちゃんとナイフでね。なんにも持ってない時でも、なぜかナイフだけは持ってるんだよな。 | ![]() |