『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ』 佐藤賢一
じつは、この本が出てることを知らなかったんですよ。まったく、「佐藤賢一さんのファンで~す」なんて言ってられませんね。それが、ふとしたことから《薩摩藩邸の焼き打ち》のことを調べていたら、たまたまこの本に関する著者の対談を紹介している『本の話web』というのを見つけたんです。薩摩藩邸焼き打ちの指揮を執っていたのが、当の本人、ブリュネだったんだそうです。 |
一八五五年、長崎海軍伝習所が開設されて、海軍がオランダ海軍軍人を招いてのの指導を受けたのに対して、陸軍はフランスからってわけみたいね。でも、だいぶ遅かったんだね。フランス人軍事顧問団が横浜に到着したのは一八六七年だって言うんだからね。歴史って不思議だね。もっと早かったらね。ともあれ、これでブリュネら軍事顧問団の、日本とのかかわりが始まったっていうことですね。 | ![]() 前列右から二番目がブリュネ |
そんな恥しらずなことがあっただけに、ブリュネの行為が称賛を浴びることになったんだろう。とはいっても恐ろしいのは、アロー戦争の立役者の二人が、二人とも戊辰戦争の日本にいたってことだな。・・・本当に、日本はブリュネみたいなはねっ返りがいたことで救われたかもね。
ブリュネは、一年以上幕府の伝習隊を指導したが、旧幕軍は戊辰戦争で敗北。帰国命令が出たにも関わらず、榎本武揚率いる旧幕艦隊に合流し、一個人の立場で箱館戦争を戦った。そのブリュネの行為にしても、彼に寄せられた称賛にしても、それは彼らが心の中に”ダルタニャン” を住まわせているからこそ成り立つ。その、心の中の”ダルタニャン” が共鳴してしまう何かが、武士たちの中にあったのだろう。
長~い中世という時代を持っていて、それはやがて新たな時代にとって代わられていく。失われていくときほど、理想はより鮮やかに浮かび上がり、人格を持つ。本当のダルタニャンだったらこうするさ❢ 本当の侍ならこうするさ❢ ・・・とはいうものの、そんなものを貫けば、本人は時代遅れで滑稽なばかり。おまけに周りの被る迷惑はどればかりか・・・。
だけどそんな幻があるからこそ、人間っていうのは現実を受け入れられるのにかもね。
同じようにヨーロッパでも、これがイギリスだとそうもいかないんだろうな。重層的に折り重なった中世という時代に、ギュッと重しをかけて絞り出したエキスみたいなもんだからね。それって、忠誠を失っていく苦渋の中からしかにじみ出ないものなんじゃないかな。ダルタニャンも侍も・・・。だから、・・・アメリカなんてもっとだめ。どうにもならない。だいたい中世が存在してないもんね、この国には・・・。


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