ヘレニズムの撹拌(覚書)『弥勒の来た道』 立川武蔵
この本を読んで、「“ヘレニズム”っていうのが、いまいち理解できてなかった」ということが分かった。ヘレニズムっていうのは、時代で言えばアレクサンダー大王の東征からプトレマイオス朝の滅亡までの三〇〇年。「アレクサンダーの東征により、ギリシャ文化とオリエントの文明が融合したもの」なんてただの言葉の上だけの理解で、何の足しにもならなかったんだよね。実際そこで起こっていたことを考えないとね。

よく、「アレクサンダーが東征ではなく西征を行っていたら・・・」なんて“if物語”がある。西ではその後、ローマが勃興してヨーロッパ社会の原型を作っていくからね。“もしもそれがなかったら・・・”ってのは、たしかに考えてみたいテーマではある。でも、まあ、ありえないだろうな。アレクサンダーってのはいろいろな意味で“若々しさ”のイメージを濃厚に持っている。時にはそれが“幼稚”にもつながる。彼が“東”へ向かったのは、その方向への「憧れから・・・」という意味が色濃く、アリストテレスに仕込まれた彼の知性に“西”という方角があったとは思えない。
ともあれ、数千年の歲月をかけて、各地域地域に築き上げられた文明、思想、宗教、伝統、生活、等など・・・、すべてが、一瞬にしてその垣根を奪われた。全てが、全ての人々に対してさらけ出されていく時代となった。人々にしてみれば、見知らぬ輩に寝室の中まで覗き込まれるような時代の到来である。
おかしない方だけど、妻との間だけで共有していたSEXのやり方が、万人による審査の対象に取り上げられていくのである。なまじの理屈が、・・・通るはずもないのだ。
人々は、知らなければならなくなってしまったのだ。「私は間違っていたのか」、「私のやり方は正しくないのか」、「そんなに笑われるようなことだったのか」。自分を確かめるためにも、新たな自分を確立するためにも・・・。
この間書いた、《起源前後の撹拌》とは、どうやらそういうことだったらしい。・・・それが宗教に起こるとどういうことになるのかな。
ヘレニズムは既存の社会の枠組みを打ち壊したことにより始まる。人々が頼りにした“社会” はそこにはなく、だから自分で生き方を決める必要があった。コスモポリタンといえば聞こえはいいが、違う言葉を使えば“ギリシャ、パキスタン間シッチャカメッチャカ社会” ってことだからね。
生き方をめぐる万人の万人に対する闘争が開始されたヘレニズムの状態では、地域限定の伝統的宗教観はもはや人々の宗教的感情をつなぎとめることができなくなった。人々は新たな宗教観を求めてヘレニズム社会を行き来した。いや、更にその先へ、インドへ、支那へ、・・・更にその先へ。
前六世紀のバビロン捕囚と前後してユダヤ人の間にメシア思想が広がった。しかし彼らが望んだメシアとは、現世でユダヤ人を繁栄に導く存在であり、英雄であった。後のイエスのように、死後の魂を導いてくれるような救世主を、この時代のユダヤ人は望んでいなかった。
前ニ世紀、セレウコス朝の王たちがユダヤ人を強制的にヘレニズム化しようとした時、ユダヤ人は反発し、離反した。この頃、ユダヤ教の中に、“来世” という観念が忍び込んだというのは、『西洋の知恵』を書いたバートランド・ラッセルの考えだそうだ。撹拌された時代の中で、“来世”という観念を持つのは・・・? っと考えてみた。エジプトでは《死者の書》に書かれた通り魂は秤にかけられ、ゾロアスターはハルマゲドンの後に最後の審判があるという。
さらに、
この時代に花を開かせるガンダーラ美術に寄せて、「ギリシャの技術とともに、その思想やキリスト教が、ごく自然に取り入れられていった。マグダラのマリアは阿弥陀如来、あるいは観音菩薩や弥勒菩薩として、釈迦如来の周囲にひかえた」と述べている。
いずれにせよ、ヘレニズムの“撹拌” により、未来の救世主としての《弥勒》は生まれたようだ。その上で、帰ってきたんだね、ガンダーラに・・・。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
結局、アレクサンダーは、その類まれな軍事的才能によってギリシャからオリエントを統一しちゃった。そう言っちゃうと簡単なんだけど、統一した領域って、ギリシャからメソポタミア、地中海東岸、エジプト、ペルシャ、アフガニスタン、パキスタンなわけでしょ。この領域をギリシャ語とギリシャ文化で統一したわけだ。 |
よく、「アレクサンダーが東征ではなく西征を行っていたら・・・」なんて“if物語”がある。西ではその後、ローマが勃興してヨーロッパ社会の原型を作っていくからね。“もしもそれがなかったら・・・”ってのは、たしかに考えてみたいテーマではある。でも、まあ、ありえないだろうな。アレクサンダーってのはいろいろな意味で“若々しさ”のイメージを濃厚に持っている。時にはそれが“幼稚”にもつながる。彼が“東”へ向かったのは、その方向への「憧れから・・・」という意味が色濃く、アリストテレスに仕込まれた彼の知性に“西”という方角があったとは思えない。
ともあれ、数千年の歲月をかけて、各地域地域に築き上げられた文明、思想、宗教、伝統、生活、等など・・・、すべてが、一瞬にしてその垣根を奪われた。全てが、全ての人々に対してさらけ出されていく時代となった。人々にしてみれば、見知らぬ輩に寝室の中まで覗き込まれるような時代の到来である。
おかしない方だけど、妻との間だけで共有していたSEXのやり方が、万人による審査の対象に取り上げられていくのである。なまじの理屈が、・・・通るはずもないのだ。
人々は、知らなければならなくなってしまったのだ。「私は間違っていたのか」、「私のやり方は正しくないのか」、「そんなに笑われるようなことだったのか」。自分を確かめるためにも、新たな自分を確立するためにも・・・。
この間書いた、《起源前後の撹拌》とは、どうやらそういうことだったらしい。・・・それが宗教に起こるとどういうことになるのかな。
『弥勒の来た道』 立川武蔵 NHK BOOKS ¥ 1,512 ヴェーダの宗教、ゾロアスター教などの影響を受けて誕生したミロク=未来の救世主=のあゆみ |
生き方をめぐる万人の万人に対する闘争が開始されたヘレニズムの状態では、地域限定の伝統的宗教観はもはや人々の宗教的感情をつなぎとめることができなくなった。人々は新たな宗教観を求めてヘレニズム社会を行き来した。いや、更にその先へ、インドへ、支那へ、・・・更にその先へ。
前六世紀のバビロン捕囚と前後してユダヤ人の間にメシア思想が広がった。しかし彼らが望んだメシアとは、現世でユダヤ人を繁栄に導く存在であり、英雄であった。後のイエスのように、死後の魂を導いてくれるような救世主を、この時代のユダヤ人は望んでいなかった。
前ニ世紀、セレウコス朝の王たちがユダヤ人を強制的にヘレニズム化しようとした時、ユダヤ人は反発し、離反した。この頃、ユダヤ教の中に、“来世” という観念が忍び込んだというのは、『西洋の知恵』を書いたバートランド・ラッセルの考えだそうだ。撹拌された時代の中で、“来世”という観念を持つのは・・・? っと考えてみた。エジプトでは《死者の書》に書かれた通り魂は秤にかけられ、ゾロアスターはハルマゲドンの後に最後の審判があるという。
右の、『隠された歴史』の中で副島隆彦さんは、ナーガールジュナ(一五〇頃~二五〇頃)がまとめた大乗仏教について、「強い救済思想であり、衆生救済の思想である。救済思想はキリスト教の一大特徴であり、それが龍樹により、仏教という衣をまとって広められた。大乗仏教の衆生救済思想は、本質的にキリスト教である」と述べている。 |
さらに、
いずれにせよ、ヘレニズムの“撹拌” により、未来の救世主としての《弥勒》は生まれたようだ。その上で、帰ってきたんだね、ガンダーラに・・・。


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