『恕 日本人の美しい心』 童門冬二
2012/6/29の過去記事です
中学の時だろうか、高校だろうか。漢文で習った。「夫子之道 忠恕而已矣・・・夫子の道は忠恕のみ」。「心をこめて、人のためをはからう心」といったところと受け止めている。
表紙に大きく“恕”と記したこの本は、それを、「忍びざる心」と言っている。さらに、上杉鷹山の師である細井平洲との言として、「人の苦しみや悲しみはみるに忍びない、ということだ。やさしさと思いやりのことなのだ」と書いている。
『恕 日本人の美しい心』 童門冬二 里文出版 ¥ 1,728 人が幸福であれと思うこと・・・それが恕 相手の立場に立って、その哀しみを自分のものとすること |
|
「この人物の存在は、果たして日本のためにはならなかった」

歴史上の人物の中にも、時にそう思えるものがいる。たとえば松平定信。彼の信念と、その信念に基づく彼の選択の幾つかは、残念ながら日本のためにはならなかった。私はそう思っている。そんなことを言っている私自身が浅はかな知識しかない人間なので、松平定信ファンのかたはどうぞ怒らないでね。 |
しかし、そんな好き嫌いにこだわらず、歴史上の人物である彼らを、あえて歴史の中で見ようとせず、逆にそれぞれの同時代に我が身をおいて“人物”として考えるなら、これだけの影響を構成に与えた“人物”、誰を取り上げても尊敬に値する人物ではなかったか。・・・私には、歴史上の人物に対するそういった味方はなかった。時には今の自分の立場から、安易に切って捨てた。そうではなく、自分の方からその時代に入り込んでみたら・・・。そういった感覚を持たせてくれたという意味において、本書は優れている。
最初の章と、最後から二番目の章で、上杉鷹山とそのゆかりの人物が語られている。“恕”という文字の表す「やさしさや思いやり」にあふれる色々なエピソードを語ろうとするとき、著者が最もイメージしやすかったのが、鷹山と彼をめぐる人たちだったのではないだろうか。 |
ならば、最後から二番目なんて言う中途半端なことをせず、最初と最後で彼らについて語ればいいものを・・・。むむっ・・・ちょっと待てよ。これが著者の、歴史上の人物に対する“恕”ということか。
童門冬二という人。やはり只者ではない。


- 関連記事
-
- 『獅子の城塞』 佐々木譲 (2015/07/30)
- 『信濃が語る古代氏族と天皇』 関裕二 (2015/07/21)
- 『恕 日本人の美しい心』 童門冬二 (2015/07/20)
- 『俺の日本史』 小谷野敦 (2015/06/26)
- 『自衛官が教える「戦国・幕末合戦」の正しい見方』 木元寛明 (2015/06/12)