『獅子の城塞』 佐々木譲
ちょっと前に書いた記事です
そのほう、西南蛮で十分学んでこい。そしておれのために、あの安土城がみすぼらしく思えるほどの城を築くのだ。城下もまかせる。惣構えの、これこそ天下びとがいる場所と誰もがうなずく町を築け。西南蛮の坊主どもさえ、驚嘆して声を失うような。いいな |
石積みの特殊技能集団である穴太衆。戦国から織豊時代に、数多くの寺院や城郭の石垣を手がけ、安土城の石垣を積んだのも穴太衆であった。その技術は今にまで伝えられているという。 |
その親方の次男として生まれた戸波次郎左は、信長の意思とイエズス会の援助を受けてヨーロッパに渡る。強勢を誇るイスパニア、「サッコ・ディ・ローマ(ローマ劫掠)」から立ち直りつつあったローマ、フィレンツェ、そして世界帝国イスパニアからの独立戦争を戦うオランダと、常に求められて各地を回り、やがて彼の築城術はヨーロッパでも絶対的信頼を勝ち取っていく。しかしその間、故国日本は、思いもよらない変化を遂げていく。
石積み職人に、あるいは築城家に活躍の場があるということは、戦いが行われているということである。逆に、戦いの日々が終わり、人々の生活に平安が訪れるということは、仕事がなくなるということである。当時のオランダは、戸波次郎左に修行と熟達の機会を与えるに十分な戦いが行われた時代だった。
![]() | 『獅子の城塞』 佐々木譲 (2013/10/22) 佐々木 譲 商品詳細を見る 西洋式築城法を学ぶため、海を渡った男がいた |
オランダ独立の戦いの様子が描かれていて、これは面白かった。世界史の教科書でも『オラニエ公ウィレムを中心に独立戦争が展開され、カトリック国家スペインからかカルヴァン派のオランダが独立した』くらいの記述しかない部分だからね。城郭を破られれば街は略奪を受け、男は殺され、女は犯される。 |
そんな緊迫感の中でオランダは徐々にイスパニアの力を排除していく。そんな時代の雰囲気に触れ、面白く読ませてもらった。
というような、カトリックに対するプロテスタントの立場の表明もあった。この時期のヨーロッパを書くことはとても難しいことだと思うんだけど、十分とは思わないけど、果敢なチャレンジだったとは思うな。
リボルノの仕事で、次郎左ははじめて鋭角的稜角をもった城郭づくりに携わる。五基の稜堡を持つ城壁で街全体を囲む仕事だった。、そののち、オランダでも鋭角的稜角をもった城郭が一般化し、次郎左の仕事になっていく。このへんから、もしかしたら、話はいずれ、函館五稜郭にまでたどり着くんじゃないだろうかとも思ったんだけど、さすがにそこまでは行かなかった。 | ![]() |


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