ソ連の暴虐(覚書)『高松宮日記 第八巻』『戦後引揚げの記録』
時事ドットコム 2015/8/20 「歴史は勝者が記す」=北方領土支配正当化-ロシア愛国集会 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015082000065&g=pol (抜粋) 親プーチン政権ブロガーで作家でもあるニコライ・スタリコフ氏は、「クリール諸島(北方領土と千島列島)の帰属には日ロの二つの立場があるが、正しいのはロシアだ」と断言。歴史は勝者が決めると述べた上で、「われわれはいつも勝者だ」と強調した。 |
・・・どこにでもバカはいるから仕方ないんだけど、「なあ、おいちゃん、それを言っちゃぁ、おしめぇだよ」ということだなぁ。ただの火事場泥棒風情がでかい顔をできるのは、いったいだれのおかげだと思ってやがんでぃ。・・・いけない、また映画がかってきちゃった。
ちなみに誰のおかげかといえば、そりゃまさしくアメリカ様のおかげ。アジアにおけるロシアの動きを封じていた日本にケンカを売ってやっつけてくれたんだからね。
“歴史は勝者が決める”?・・・残念だったね。日本人を皆殺しにしておきゃあ、難癖つける奴もいなかったろうけどね。でもあいにく生きてるんでね。言いたいことは言わせてもらうよ。・・・あん時お前ら、・・・なにをした?
ちなみに誰のおかげかといえば、そりゃまさしくアメリカ様のおかげ。アジアにおけるロシアの動きを封じていた日本にケンカを売ってやっつけてくれたんだからね。
“歴史は勝者が決める”?・・・残念だったね。日本人を皆殺しにしておきゃあ、難癖つける奴もいなかったろうけどね。でもあいにく生きてるんでね。言いたいことは言わせてもらうよ。・・・あん時お前ら、・・・なにをした?
過去記事ですが・・・
『高松宮日記 第八巻』 中央公論社 中古になるけど 昭和天皇の弟宮が二十七年間にわたって書きつがれた親王日記。第八巻は昭和二〇年~二二年。終戦のあの頃。 |
高松宮日記 第八巻 P175~P176 (※昭和20年の日記)
十月二十三日(火)雨、雲行早、曇
荒れ狂う婦女暴行 十月二十三日(火)雨、雲行早、曇
[上欄]〇八三〇~一四〇〇。
靖国神社例祭。臨時大祭来月中旬行はれる筈につき、今日参拝せず。
MC司令部にて靖国神社をなくしようと云ふ考へある由。昨今雨中に参拝者多数ありしことなど、MC司令部の認識を改めしむべき国民的祭事を証し得たるべし。之を軍国主義の表兆とは云はざるべし。
MC司令部にて靖国神社をなくしようと云ふ考へある由。昨今雨中に参拝者多数ありしことなど、MC司令部の認識を改めしむべき国民的祭事を証し得たるべし。之を軍国主義の表兆とは云はざるべし。
情報会(遠藤柳作、朝鮮事情)。
夜、石渡中佐、渡辺大佐、銘刀を見にくる(一等~三等見せる)。
〇八一五厚生大臣、戦災援護に関する放送を私にせよとの話、承諾す。但し厚生省の仕事の滞るのを云いわけするのではつまらぬ、之を機会に愈しつかりやることにしたいと話す。
北朝鮮に侵入せる「ソ」兵は白昼街道にて通行中の婦女を犯す。汽車の通らぬため歩いて来る途中、一日数度強姦せらる。二人の娘を伴ふ老婦人はかくして上娘は妊娠、下の娘は性病に罹る。元山か清津にては慰安婦を提供を強ひられ人数不足せるを籤引にて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。強要せられ自殺せるものも少からず。男女は別にせられ男は労働せしめらる。知事其他の高官も道路清掃等をさせられつつあり。幼児の死亡するも少からず。満州より 南下する列車も殆んど平壌に止められ悲惨な光景を呈しありと。その他の地はおして知るべきなり。
夜、石渡中佐、渡辺大佐、銘刀を見にくる(一等~三等見せる)。
〇八一五厚生大臣、戦災援護に関する放送を私にせよとの話、承諾す。但し厚生省の仕事の滞るのを云いわけするのではつまらぬ、之を機会に愈しつかりやることにしたいと話す。
北朝鮮に侵入せる「ソ」兵は白昼街道にて通行中の婦女を犯す。汽車の通らぬため歩いて来る途中、一日数度強姦せらる。二人の娘を伴ふ老婦人はかくして上娘は妊娠、下の娘は性病に罹る。元山か清津にては慰安婦を提供を強ひられ人数不足せるを籤引にて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。強要せられ自殺せるものも少からず。男女は別にせられ男は労働せしめらる。知事其他の高官も道路清掃等をさせられつつあり。幼児の死亡するも少からず。満州より 南下する列車も殆んど平壌に止められ悲惨な光景を呈しありと。その他の地はおして知るべきなり。
『戦後引き揚げの記録 新板』 若槻泰雄 時事通信社 中古になるけど 一部のぞいてソ連人は上から下まで野獣のようだった。兵士も将校も略奪と強姦と射殺を繰り返した。 |
ソ連兵の日本婦人への暴行は、すさまじいの一語に尽きる。それが十二、三歳の少女であろうと七十近い老婆であろうと、そして、人前でも白昼でも、また雪の上であろうとも、そういうことは全く頓着しなかった。樺太の場合同様、女性たちは丸坊主になり顔を墨で塗り男装して逃れようとしたが、彼らは一人一人胸を触って女であることを確かめると引き立てていった。
南満へ疎開した人たちが、終戦後また新京の自分の家に帰る途中、公主嶺の駅で、進駐してきたソ連軍の列車とばったり出くわした時おこった事件は、「誰も知らぬものはない事実だ」という。それは、あわてて発車しようとする日本人の乗っている列車をソ連兵が止め、女は一人残らずプラットホームに降ろされ、「白日の下、夫や子どもや公衆のまん前で集団暴行を受けた」のである。
もとより日本女性のすべてが唯々諾々とソ連兵の毒牙に身を任せたわけではない。陵辱に耐えかねて死をもって抗議する若い婦人、暴行から身を守ろうとみずから死を選ぶ人妻もいた。例えば敦化の日満パルプKKの社宅では、ソ連軍は命令によって男と女を分離させ、一七〇人の婦女子全員を独身寮に監禁し、夜となく昼となく暴行の限りを尽くしたが、この際二、三人の女性は一斉に青酸カリによって自殺している。


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