『仏教の釈迦・キリスト教のイエス』 ひろさちや
二〇一三年一二月に書いた記事です。
もともとは一九八八年に出版された『釈迦とイエス』という本をもとにして書き下ろされたとのこと。ひろさちやさんの本は結構読んでると思うけど、『釈迦とイエス』という本は・・・、ん~、記憶にない。とりあえず、楽しく読めました。
『仏教の釈迦・キリスト教のイエス』 ひろさちや 春秋社 ¥ 1,728 イエス「半分に分けて食べなさい」 釈迦「パンを争う世界から離れよ」 |
人類史に大きな足跡を残した二つの世界宗教の開祖を、あえて人間として比較することによって、教えの違いと共通点、社会への関わり方の特徴を鮮明に浮かび上がらせたい。そんな狙いを持って書かれた本みたい。
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著者が、「人間は人生のそれぞれの局面にあって特定の行動を選択します。が、その選択は、すべてその局面において評価されなければなりません。釈迦は二十九歳の時に出家を選択しました。その選択は二十九歳の時点において評価すべきです」って書いてるんだけどね、まったくその通り。
それを踏まえたうえで著者が言うには、当時のインドには、“出家によって来世は展開に生まれ、天女を抱くことができる”という考え方があったんだそうだ。ならば、釈迦だけがそこから自由であったというのはおかしい。俗世のできごとかから決別したということが結果として《仏陀》となることにつながったが、出家の時点では来世の天女を抱いた天界の生活が思い描かれていたというのはとても面白い。
釈迦の生涯を題材にした『ブッダチャリタ』っていう仏教叙事詩があって、ヤショーダラーの恨み事はいいなぁ。なんかこう、ぞくぞくするものを感じる。 |
私の心は嫉妬といさかいを好みますが、正しい行いを好む主人は、そのことをたびたびそれとなく知って、恐れることなく楽々と怒りっぽい私を捨ててインドラの国で天女たちを得ようとしたに違いありません。 天女たちを得るために、王位と私のひたむきな愛を捨てて夫は苦行をしているわけですが、その女たちがどんな美しい姿をしているのか私には気がかりです。 |
仏教がインドから消えていった原因についての言及もあって、とても勉強になった。仏教は徹底的に“苦”を見つめなおしてバラモン教を止揚する。それが平等思想につながる。ところが高位カースト社会は、徹底した平等主義を貫く仏教集団とその支援者をカーストの低い者たちとして扱った。どうやら、このことが人々の仏教ばなれにつながったらしい。
「帰依する」という言葉の解説も面白かった。十七条憲法の中で聖徳太子は『厚く三宝を敬え』と言ってますね。三宝に帰依しなさいってことだけど。“帰依する”って言葉のほんとうの意味は、「避難所に逃げ込む」ってことなんだって。つまり、仏教っていうのは“避難所”だったんだね。
「仏教に逃げ込めばもう大丈夫」ってことで、世間も権力も、仏教にそれを許していた。世を捨てて、《彼岸》をめざす者なら、これ以上かかずらわる必要もないだろうってことか。このへんイエスは違う。イエスは人の世の価値観に喧嘩を売った。金持ちが不幸で貧乏人が幸せだと・・・。だからイエスとその教団は、人の世の外に立つことを許してもらえなかったということなのかなぁ
実際読んでみて、“教えの相違”という点に関していえば、釈迦については大変面白かったんだけど、イエスに関してはちょっと既成の概念というか、聖書に書かれていることにとらわれ過ぎかなぁって感じてしまった。聖書はイエスとは無関係に書かれたって前提で、歴史上の人物としてのイエスの生涯を捉え直してもらいたかった。そう考えること自体がない物ねだりかな。
教えを説くにあたって人の世にどう関わっていったかは、二人の違いが鮮明で、とても面白かった。釈迦はあくまでも彼岸に立ち位置をおいて此岸を見ていた。しかし、イエスは違う。あくまでも人の世の秩序に挑戦する。その価値観を転倒させようとする。宗教者という立場を自覚しながら政治家として殺されていくのはそのためだ。
彼の処刑後半世紀ほどで、ユダヤはローマに大反乱を起こす。後の反乱も合わせて、ユダヤ地方に生きる団体としてのユダヤ人の歴史は崩壊していくわけだ。まさに、土壇場にイエスは登場したことになる。ユダヤには、イエスを神の声を伝えるもとのして受け止めることはできなかったということなのか。神の力を代行するものとしてしか、彼は受け入れられる余地はなかったということか。そのユダヤ人の落胆が、あの結末を産んだということか。
ん~、もっといろいろ読んで考えよう。


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