『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 施光恒
二七日から一週間ばかり旅に出ます。行きたくって行く旅じゃ無いんだけどやむを得ません。足がどうなることやら、心配ではありますが、行ってみないとわかりません。せっかく行く旅ですから、見るべきものは見てこようと思います。いずれ報告でも・・・。・・・では・・・ |
まだ二カ月ほど残しているけど、間違いなく、今年最も感銘を受けた何冊かの本のうちの一つだな、この本。
いつ頃のことだったけかな。まだ十年はたたないと思うけど、埼玉県が主催する、とある研修に出た時に感じたこと。行きがかり上、職場の人権問題の担当だった私のところに、この研修参加を呼び掛ける文書が回ってきた。《・・・・・・・・養成講座》・・・?見たことも聞いたこともない言葉だった。・・・ファシリテーター・・・?????
とりあえず“職場一名”ノルマということなので、自分が参加した。それが《促進者》という意味を持つ言葉であるということは、参加した研修会の受け付けで質問して、やっとわかった。
そんな言葉ばかりが多すぎる。《コミットメント、ユーザー、エビデンス、スペック、アジェンダ、コンセンサス》・・・まったく、おそ松くんに登場するおフランス帰りのイヤミの大軍を相手にしているようだ。
ここにあげた言葉なら、わざわざカタカナ言葉にする必要はない。それぞれに言いかえられる日本語が存在する。にもかかわらずカタカナ言葉を使うのは、それ相応の理由があるということになる。結構、つまらない理由が・・・。言葉をかえたって、中身が伴わなきゃ仕事は《おそ松》なまま・・・。かえって無様が際立つと思うけど・・・。
『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 施光恒 集英社新書 ¥ 821 漱石、諭吉もあきれた明治の英語公用語化論の再来・・・英語化政策で自ら「植民地」に❢ |
そこから一歩進むと《英語化論》が出てくる。“グローバル化に対応できる人材を・・・”って、表面を取り繕おうとする根性は相変わらず。直接英語で外の世界に接触できることが大事?英語が得意なことを自慢したいなら、お前がそれを日本語に訳せ。
中世ヨーロッパ社会では、社会の上層階級と庶民階級の間の言語がラテン語と“土着語”に分断されていた。だから平等の実現など不可能だった。 近代以降のヨーロッパ諸国で社会的平等が徐々に実現されていったのは、国語の整備や国語に基づく公教育の普及が大きな要因だった。経済的にもラテン語を操る一部の上層階級だけがより高い所得を得るような時代を脱し、大衆が国語で自ら学び、あらゆる分野で先進的な取り組みをするようになったことで、社会全体が活性化し、技術革新も多く生まれ、次第に社会の構成員全体の所得が向上していった。 |
“Democracy”を、先人たちは《民主主義》という言葉を創出して多くの人の理解を保証してくれた。“Democracy”はDemocracyと、英語を知らないものを突き放さなかったし、デモクラシーと分かったような気分になることを強要することもなかった。支那ではね。「徳莫克拉西」と書いたというけど、これはカタカナ言葉と同じ発想だね。それを思えば、本当にありがたい。
それをなんだ。英語公用語化ってのは・・・。
戦後、日本語の書き言葉がローマ字に置き換えられる危機があったそうだ。アメリカ人の認識は、フィラデルフィア・レコード誌「文盲の日本人はローマ字化によって新聞が読める日が来るだろう(1946/1/6)」とか、ニューズウィーク誌「教養ある日本人でも辞書なしでは新聞を読めない。GHQが進めるローマ字化で日本人も少しは考えるようになるだろう(1946/2/4)」といった稚拙なものだったようだ。 |
ローマ字化の担当者はGHQ民間情報教育局員ロバート・ホールという人物だったようなんだけど、文部省は日本人が文盲かどうか、まず漢字テストをやってくれと頼み込んでなんとか説得したらしい。一九四八年八月、無差別抽出された一万七〇〇〇人がテストを受けた結果、識字率九八%。米国人のそれを三五ポイントも上回った。これでローマ字化の話はご破算になったらしい。よかった、よかった。
大切なのは、自分たちの日常の言葉で、世界の最先端の知識に触れることができるってことだな。英語が得意ならさ、そういう風に力を振るってよ。


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