『弥勒の来た道』 立川武蔵
昨日の記事の材料にした『なぜ日本人はご先祖様に祈るのか』では、「発祥地はどこであれ地下水脈のように流れる人類共通の死生観があり・・・」と書かれている。それが古くはギリシャ神話に語られ、日本人は今もそれに手を触れることができる状況にあるのではないかと言うのは昨日書いた。
どうも、謎をとく鍵はヘレニズムにあるように思える。以前に書いた『弥勒の来た道』の記事をまとめてみた。
どうも、謎をとく鍵はヘレニズムにあるように思える。以前に書いた『弥勒の来た道』の記事をまとめてみた。
アレクサンダーは、その類まれな軍事的才能によってギリシャからオリエントを統一しちゃった。そう言っちゃうと簡単なんだけど、統一した領域って、ギリシャからメソポタミア、地中海東岸、エジプト、ペルシャ、アフガニスタン、パキスタンなわけでしょ。この領域をギリシャ語とギリシャ文化で統一したわけだ。 |
ともあれ、数千年の歲月をかけて、各地域地域に築き上げられた文明、思想、宗教、伝統、生活、等など・・・、すべてが、一瞬にしてその垣根を奪われた。全てが、全ての人々に対してさらけ出されていく時代となった。人々にしてみれば、見知らぬ輩に寝室の中まで覗き込まれるような時代の到来である。
おかしない方だけど、妻との間だけで共有していたSEXのやり方が、万人による審査の対象に取り上げられていくのである。なまじの理屈が、・・・通るはずもないのだ。
人々は、知らなければならなくなってしまったのだ。「私は間違っていたのか」、「私のやり方は正しくないのか」、「そんなに笑われるようなことだったのか」。自分を確かめるためにも、新たな自分を確立するためにも・・・。
これこそ《起源前後の撹拌》というものだったらしい。
ヘレニズムは既存の社会の枠組みを打ち壊したことにより始まる。人々が頼りにした“社会” はそこにはなく、だから自分で生き方を決める必要があった。コスモポリタンといえば聞こえはいいが、違う言葉を使えば“ギリシャ、パキスタン間シッチャカメッチャカ社会” ってことだからね。
生き方をめぐる万人の万人に対する闘争が開始されたヘレニズムの状態では、地域限定の伝統的宗教観はもはや人々の宗教的感情をつなぎとめることができなくなった。人々は新たな宗教観を求めてヘレニズム社会を行き来した。いや、更にその先へ、インドへ、支那へ、・・・更にその先へ。
前六世紀のバビロン捕囚と前後してユダヤ人の間にメシア思想が広がった。しかし彼らが望んだメシアとは、現世でユダヤ人を繁栄に導く存在であり、英雄であった。後のイエスのように、死後の魂を導いてくれるような救世主を、この時代のユダヤ人は望んでいなかった。
前ニ世紀、セレウコス朝の王たちがユダヤ人を強制的にヘレニズム化しようとした時、ユダヤ人は反発し、離反した。この頃、ユダヤ教の中に、“来世” という観念が忍び込んだというのは、『西洋の知恵』を書いたバートランド・ラッセルの考えだそうだ。
撹拌された時代の中で、“来世”という観念を持つのは・・・? っと考えてみた。エジプトでは《死者の書》に書かれた通り魂は秤にかけられ、ゾロアスターはハルマゲドンの後に最後の審判があるという。
阿弥陀さまや弥勒さまは、やっぱりあやしいよね。どっか仏教的じゃない。だいたい、仏教は“悟る”ことが第一義だよね。“救われる”こととは違うよね。なのに、阿弥陀さまや弥勒さまは、人を救おうとするんだ。
地獄の恐ろしいさまを心に宿せば、人は自ずから謙虚になる。たしかにそのとおりだと思う。その元になったのは源信の『往生要集』でしょ。経典や仏教書から極楽往生に関する文章を集めて三巻構成にまとめたものだそうだ。その最初の章が「厭離穢土」、ここに地獄の様子が描かれる。 |
それはともかく、《地獄》といえば、《極楽》だよね。極楽は阿弥陀さまがおられる浄土で、平安の頃には浄土への生まれ変わりを祈りながら死んだわけでしょ。観想念仏ですよね。浄土を心のなかに描き出しやすいように平等院鳳凰堂みたいな浄土建築、浄土式庭園が流行ったわけでしょ。なんだか私には、天使たちに導かれて天に登っていくネロとパトラッシュの姿が見える。 |
『弥勒の来た道』 立川武蔵 NHK BOOKS ¥ 1,512 ヴェーダの宗教、ゾロアスター教などの影響を受けて誕生したミロク=未来の救世主=のあゆみ |
阿弥陀さまは浄土にいて、人はみんな、死んで極楽浄土に生まれ変わるのを願うわけだよね。んで、阿弥陀さまはみんなに手を差し伸べてくれるんでしょ。み~んな救ってくれるのは一緒でも、兜率天にいるという弥勒さまは、弥勒さまの方からこっちに来てくれるんだよね。 |
本来は、修行を積んで、仏様とおんなじ境地に至ること。これが解脱、悟り、成仏だよね。こっちから行くんだよね。仏教っていうのは、本来、こっちから行く宗教で、向こうから来てくれる宗教じゃないんだよな。その辺、弥勒さまは仏教における例外だね。弥勒様の方から降りてきてくれて、救ってくださる。まさしくメシアだな。
右の、『隠された歴史』の中で副島隆彦さんは、ナーガールジュナ(一五〇頃~二五〇頃)がまとめた大乗仏教について、「強い救済思想であり、衆生救済の思想である。救済思想はキリスト教の一大特徴であり、それが龍樹により、仏教という衣をまとって広められた。大乗仏教の衆生救済思想は、本質的にキリスト教である」と述べている。 |
ただし、弥勒さまの方から来てくれるっていうんだけど、その来てくれるのが五十六億七千万年の後、ってことなんだよね。これって、《来ない》ってことでしょ。 |
パウロの時代、「裁きの日は近い」という言葉の、“近い”は、どれくらいの距離感覚だったんだろう。もしそれが二千年、三千年の後なんてことだったら、そんな話、誰も見向きもしなかったはずだよね。だから“近い”ってのは、すぐそこだったんだろうね。一年か、二年か・・・?
でも、いつまで待ってもなかったわけだよね。パウロが死んでも、パウロの言うことを聞いた父が死んで、その子が死んで・・・。キリストは、メシアは、・・・《来ない》。そんな絶望が、五十六億七千万年の後に下生し釈迦の救いに漏れた衆生を救う弥勒信仰に現れていったのでは・・・。


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