書き換えられた歴史(覚書)『古代史 50の秘密』 関裕二
斉明(皇極)天皇が古代史の鍵を握る一人。・・・そうなんだ。・・・ダメだな。そう言われてもピンとこなかった。
その斉明(皇極)天皇の目の前で、中大兄皇子は蘇我入鹿を殺している。蘇我系の漢皇子が天皇になれば、もはや自分に出番はない。そんな立場の中大兄皇子に中臣鎌足がクーデタを囁いたのではないか。中臣鎌足は蘇我氏の進める律令制導入に対する反改革勢力の情報を持って中大兄皇子に近づいたことだろう。
著者は以前から、この中臣鎌足こそ百済王子豊璋だろうという意見を表明している。大陸に強大な力を備えた統一王朝が誕生し、それにともなって挑戦の状況が流動化している以上、蘇我氏の採用した全方位型の外交はまったく正解である。鎌足の正体が、もしも著者の言うとおり百済王子豊璋であるとすれば、中大兄皇子・中臣鎌足の共闘と、白村江の戦いで日本を滅亡の淵に立たせる無謀な政策にも理屈が通る。
もう一つ、興奮させられたのは、クーデタ後、歴史から姿を消した漢王子こそが大海人皇子ではないかというのだ。白村江の敗戦で政権の維持さえ危うくなった中大兄は、蘇我系の大海人を皇太弟に指名することで政権を持続させた。その後、危険を予知して吉野に隠棲した大海人は、中大兄の死後、大友を壬申の乱で倒し、いよいよ皇親体制を確立して親蘇我派悲願の改革に邁進していく。
天武崩御ののち、天武の御子ではなく持統が即位する。ライバル大津を粛清して即位させようとした草壁が早逝してしまったとはいえ、六八六年に天武が崩御したのち、持統が即位するのは六九〇年。無難に即位したわけではない。
即位した持統は鎌足の子、不比等を大抜擢する。天智・鎌足の関係が、持統・不比等に置き換えられた。『天武の遺志を継承する』ことが即位の前提だったろうが、この時点で親蘇我派政権は反蘇我派政権に置き換えられた。
親蘇我派と天武天皇の進めてきた中央集権システムへの改革は、律令制の体裁を取りつつも、藤原氏に権力と富が集中されるだけのシステムに書き換えられた。








同時に、歴史の書き換えが行われた。藤原不比等のもとで『日本書紀』が成立する。蘇我氏が聖徳太子以来進められた改革を阻害し、それを中大兄皇子と中臣鎌足が倒した。反改革派の頭目たるソがした倒されたことで、その後改革は一気に進められた。そう語られるようになった。
中大兄皇子と中臣鎌足の実行したクーデタ以降、かつて力を有した豪族たちは、藤原氏の暗躍によって次々と潰されていった。藤原氏は皇族を罠にはめることさえまったく躊躇するところがなかった。異様な残忍さである。
やはり著者の言うとおり、中臣鎌足=百済王子豊璋ってあたりが、そういうところに出ているのかもしれない。
内容的には、二〇一二年に出された『古事記の禁忌 天皇の正体』とほぼ同じ。その時と同じ著者に対する小さな不満を入れときますね。
やっぱり、さすが関裕二さんの本。《覚書》用のメモとして、けっこう記事に残してしまった。それにしても、藤原氏。まったく天智、持統の親子ってのは、追い詰められたとは言っても、とんでもないやつを舞台に引き上げちゃったもんだな。そのことは間違いないことだろうな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
斉明(皇極)天皇は舒明天皇に嫁ぐ前、蘇我系の高向王と結ばれ、漢王を生んでいた。皇位継承権のない「蘇我の漢王」を「蘇我系の天皇候補・漢皇子」に化けさせるために、天皇に担ぎあげられた。 |
その斉明(皇極)天皇の目の前で、中大兄皇子は蘇我入鹿を殺している。蘇我系の漢皇子が天皇になれば、もはや自分に出番はない。そんな立場の中大兄皇子に中臣鎌足がクーデタを囁いたのではないか。中臣鎌足は蘇我氏の進める律令制導入に対する反改革勢力の情報を持って中大兄皇子に近づいたことだろう。
著者は以前から、この中臣鎌足こそ百済王子豊璋だろうという意見を表明している。大陸に強大な力を備えた統一王朝が誕生し、それにともなって挑戦の状況が流動化している以上、蘇我氏の採用した全方位型の外交はまったく正解である。鎌足の正体が、もしも著者の言うとおり百済王子豊璋であるとすれば、中大兄皇子・中臣鎌足の共闘と、白村江の戦いで日本を滅亡の淵に立たせる無謀な政策にも理屈が通る。
もう一つ、興奮させられたのは、クーデタ後、歴史から姿を消した漢王子こそが大海人皇子ではないかというのだ。白村江の敗戦で政権の維持さえ危うくなった中大兄は、蘇我系の大海人を皇太弟に指名することで政権を持続させた。その後、危険を予知して吉野に隠棲した大海人は、中大兄の死後、大友を壬申の乱で倒し、いよいよ皇親体制を確立して親蘇我派悲願の改革に邁進していく。
新潮文庫 ¥ 529 気鋭の歴史作家が埋もれた歴史の真相を鮮やかに解き明かす。文庫オリジナル |
即位した持統は鎌足の子、不比等を大抜擢する。天智・鎌足の関係が、持統・不比等に置き換えられた。『天武の遺志を継承する』ことが即位の前提だったろうが、この時点で親蘇我派政権は反蘇我派政権に置き換えられた。
親蘇我派と天武天皇の進めてきた中央集権システムへの改革は、律令制の体裁を取りつつも、藤原氏に権力と富が集中されるだけのシステムに書き換えられた。
同時に、歴史の書き換えが行われた。藤原不比等のもとで『日本書紀』が成立する。蘇我氏が聖徳太子以来進められた改革を阻害し、それを中大兄皇子と中臣鎌足が倒した。反改革派の頭目たるソがした倒されたことで、その後改革は一気に進められた。そう語られるようになった。
中大兄皇子と中臣鎌足の実行したクーデタ以降、かつて力を有した豪族たちは、藤原氏の暗躍によって次々と潰されていった。藤原氏は皇族を罠にはめることさえまったく躊躇するところがなかった。異様な残忍さである。
やはり著者の言うとおり、中臣鎌足=百済王子豊璋ってあたりが、そういうところに出ているのかもしれない。
内容的には、二〇一二年に出された『古事記の禁忌 天皇の正体』とほぼ同じ。その時と同じ著者に対する小さな不満を入れときますね。
もちろん私は、“関説”のすべてを受け入れているわけではないし、まだ満ち足りない部分を多く抱えている。中大兄皇子のたびたびにわたるテロ行為がなぜ容認されたのか。持統、不比等の百済路線がなぜ容認されたのか。それを許す、あるいは阻止することに、周辺がいかに関係してくるのか。また周辺は、どこまでが国政レベルに関与できたのか。こういった部分に対する疑問が、著者の説の幾つかを、少々唐突に思わせてしまっている。 |
やっぱり、さすが関裕二さんの本。《覚書》用のメモとして、けっこう記事に残してしまった。それにしても、藤原氏。まったく天智、持統の親子ってのは、追い詰められたとは言っても、とんでもないやつを舞台に引き上げちゃったもんだな。そのことは間違いないことだろうな。


- 関連記事
-
- 『封印された古代史の謎 大全』 瀧音能之 (2016/02/07)
- 櫛名田姫(覚書)『姫神の来歴』 髙山貴久子 (2015/11/29)
- 書き換えられた歴史(覚書)『古代史 50の秘密』 関裕二 (2015/11/27)
- 『出雲と大和 古代国家の原像を訪ねて』『「神社」で読み解く日本史の謎』『古代史 50の秘密』 (2015/11/26)
- 『姫神の来歴』 髙山貴久子 (2015/11/24)