『アメリカの鏡・日本』 ヘレン・ミアーズ
この本が日本で出版されたのは一九九五年。すぐじゃないけど、まもなく読んだ。衝撃を受けた。こんな本を書くアメリカ人がいるのか。これを書いたヘレン・ミアーズは当然のように日本擁護者として批判の対象となり、この本とともに学者として世に出ることができなかったそうだ。そんな本を書くアメリカ人がいたんだ。アメリカのすごさだな。しかも彼女がこの本を書き上げたのが一九四八年だって言うんだから、・・・すごい。

最近、下の装丁の本をネットで見つけて、なつかしくなって、読み返してみることにした。押し入れに頭突っ込んで探し出して見れば、当時はこの本、二三〇〇円もした。今は六九一円で読めるんだから、うらやましいな。
著者は確信を持っている。だからこそ上記のような疑問を提示しているわけだ。しかもこんなにも重要なことが、読み始めて間もなく、p34に登場してくるんだからね。マッカーサーでなくとも発禁にする。

しかし、著者がこの本を書いたのは、失意の日本人を慰めるためなんかじゃなく、あくまでもアメリカのためなのだ。《地球上でもっとも強い国民》になったアメリカ人は世界が置かれている無秩序の責任を免れる事はできない立場なのだ。そのアメリカのために、著者ができることは、アメリカを見つめなおすこと。日本という鏡に映してアメリカを見つめなおすこと。
もしもアメリカが建国の理念を忘れてしまって世界の独裁者となり、もはや自らの精神の統御者たりえなくなっているなら、そのアメリカを力から自由へ引き戻す。虚偽と汚濁に輝く支配と権力の暗黒の光芒を放つ皇帝の王冠を捨て、額には自由と独立の神妙なる光を放つ理念の徴を掲げる。そのために著者はこの本を書いた。

どうでしょう。関心を持っていただけました。『菊と刀』なんかよりもよっぽどまともな本であることは間違いない。昨年、『日本‐喪失と再起の物語』を紹介した時に、その本の著者のデイヴィッド・ピリングって言う人が「外国人の目から見た、戦争や、戦後の日本の歴史を書いた本の中では、これが最も優れている」と、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』をあげていた。『敗北を抱きしめて』は私も読んだけど、いい見方をしている部分もあるけど、全般的には頓珍漢だ。これもそのとき書いたことなんだけど、「ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』。この本の上をいくものは今のところないと思う」という気持ちに、今も変わりはない。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
マッカーサーは日本語版の出版を許さなかった。マッカーサーの退任後も、占領の終了後も、その後も長くこの本の日本語版は出版されなかった。危険な本だったからだろうな。やっと出版されたのが一九九五年。そのとき私が呼んだのは右の装丁の本だった。 |
最近、下の装丁の本をネットで見つけて、なつかしくなって、読み返してみることにした。押し入れに頭突っ込んで探し出して見れば、当時はこの本、二三〇〇円もした。今は六九一円で読めるんだから、うらやましいな。
〈パールハーバーは、〉「世界征服」を企む野蛮人による「一方的」で裏切りの攻撃だったのか。あるいは、圧倒的に強い国との力のゲームに引きずり込まれたと思っている国が、経済封鎖に対して挑んだ攻撃だったのか。この違いは極めて大きい。 本書p34 |
著者は確信を持っている。だからこそ上記のような疑問を提示しているわけだ。しかもこんなにも重要なことが、読み始めて間もなく、p34に登場してくるんだからね。マッカーサーでなくとも発禁にする。
『アメリカの鏡・日本』 ヘレン・ミアーズ 角川ソフィア文庫 ¥ 691 彼女の関心はアメリカにある 日本という鏡を通して見たアメリカが、ここに書かれている |
|
しかし、著者がこの本を書いたのは、失意の日本人を慰めるためなんかじゃなく、あくまでもアメリカのためなのだ。《地球上でもっとも強い国民》になったアメリカ人は世界が置かれている無秩序の責任を免れる事はできない立場なのだ。そのアメリカのために、著者ができることは、アメリカを見つめなおすこと。日本という鏡に映してアメリカを見つめなおすこと。
もしもアメリカが建国の理念を忘れてしまって世界の独裁者となり、もはや自らの精神の統御者たりえなくなっているなら、そのアメリカを力から自由へ引き戻す。虚偽と汚濁に輝く支配と権力の暗黒の光芒を放つ皇帝の王冠を捨て、額には自由と独立の神妙なる光を放つ理念の徴を掲げる。そのために著者はこの本を書いた。
《パールハーバーは世界征服にくくりつけられた日本民族の先天的侵略性が引き起こしたという、単純きわまりない説明を受け入れていいわけがない》と、著者は言うが、結局マッカーサーはそれを前提に日本を再構築した。日本だけではない、戦後世界そのものがそれを大前提としてスタートを切り、そのまま今に至る。結局、”挙句の果てがこのざま”ということなのか。 |
どうでしょう。関心を持っていただけました。『菊と刀』なんかよりもよっぽどまともな本であることは間違いない。昨年、『日本‐喪失と再起の物語』を紹介した時に、その本の著者のデイヴィッド・ピリングって言う人が「外国人の目から見た、戦争や、戦後の日本の歴史を書いた本の中では、これが最も優れている」と、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』をあげていた。『敗北を抱きしめて』は私も読んだけど、いい見方をしている部分もあるけど、全般的には頓珍漢だ。これもそのとき書いたことなんだけど、「ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』。この本の上をいくものは今のところないと思う」という気持ちに、今も変わりはない。


- 関連記事