正義の宗教(覚書)『キリスト教と戦争』 石川明人
平和とは、人間社会の創立者である神に寄って社会の中に刻み込まれ、常により完全な正義を求めて人間が実行に移さなければならない秩序の成果である。 現代世界憲章より |
彼らの神さまはとってももったいぶった方で、“本物の平和”は、すでに人間社会に刻みこんであるものの、簡単に人間にくれてやったわけじゃない。それは間違いなく人間社会に存在するんだけど、人間は神が定めた“完全な正義”を求めて行動した度合いによって、それにふさわしい程度の秩序としてその成果が示されるらしい。 |
・・・そうは行かないか。彼らを野生に戻したら、もっと大変なことになるよな、きっと・・・。
中公新書 ¥ 886 アウグスティヌス、十字軍、ルター・・・、キリストの兵士よ 戦え❢ |
ルターの『キリスト者の自由』は、神の前における「万人の平等」を謳った。おりから領主に対して立ち上がった農民たちは、ルターの教えに焚き付けられた。しかし、農民たちの攻撃対象である領主層の保護下にあるルターは、兵士たちに命じた。 |
誰でも刺し殺し、打ち殺し、絞め殺しなさい。そのために死ぬのならば、あなたにとって幸いである。これ以上祝福された死はあなたにありえない。というのは、あなたは神の御言葉と命令に従い、また地獄と悪魔のきずなから、あなたの隣人を救い出す愛の奉仕のうちに死ぬのだからである。 |
・・・どうでしょうねぇ、これ・・・。若い連中を焚き付けて自爆テロに走らせる、イスラム原理主義のリーダーたちの言ってることとまったくおんなじだな。
ルターの時代から遡ること百年。すでに宗教改革の萌芽が見られた。コンスタンツ公会議の決定によって、火炙りで処刑されたヤン・フス。確かこの段階で名前の上がったお師匠さまのジョン・ウィクリフは、死後三〇年にして墓を暴かれ、遺体を火炙りにされた。フスの処刑から発生したフス戦争は、宗教戦争に民族戦争の色彩まで加わって激化した。双方ともに、神の正義を実現しようとすることで譲らなかった。 |
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れよ」という言葉を、ツヴィングリはよく口にしたそうだ。チューリヒの教会にあるツヴィングリの銅像の手には、聖書だけでなく、大きな県も握られているんだそうだ。 |
三十年戦争もまた、宗教戦争。ドイツ人口は一六〇〇万から六〇〇万に激減したというが。もとから残忍なカトリックに対し、プロテスタントもルターやツヴィングリのような連中がたくさんいた結果だろうね。
愛の宗教なんでしょう。わかりますよ。キリスト教の“愛”に、どれだけの人が慰められたか。寛容の宗教なんでしょう。もう、言われなくてもわかります。キリスト教の“寛容”に、どれだけの人が許されたか。そのことに、私はまったく疑問を持ちません。でもね、キリスト教が試された時、彼らは間違いなく神の正義を優先する。その時、彼らは愛しもしなければ、許しもしない。
・・・それだけのことなんじゃないかなぁ。・・・そういう言い方はないよね。じつはまだ、二章までしか読んでないのに、これを書いてるんだ。・・・ごめんなさい。ということで、先を読みます。


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