諦めなければ夢は・・・(覚書)『人間の分際』 曽野綾子
『人間の分際』という題名だからね。まず、参った。「そんなの違う」っていくら言っても、幼稚な思考は怒涛のごとく押し寄せて私を飲み込んでいく。波間に浮かびながら、「アップアップ、ああ、もうダメだ。おぼれる」って、諦めかけたところに流れてきた一枚の木切れ。私にとってこの本は、まさにそんな木切れなのです。
“分”を前提に人間を考える。そんなごくごく当たり前のことさえ、「えーっ、身分差別?」なんて言われちゃってね。幼稚過ぎて話しにならないんだけど、今ではそれが洪水のように押し寄せてくる有様。・・・藁を無つかむ気持ちですがりつた私の気持ち、お分かりいただけるでしょう。どうも、幼稚であるだけに、妙に分かりやすい弁っていうのは、本当に質が悪いね。
話は変わりますが、つい昨日のことです。「鎌倉幕府が開かれたのは・・・」ってやつね。「いい国作ろう鎌倉幕府で一一九二年っていうのは間違ってるんだってね」って、素人さんから言われて、見回せば皆さんうなずいている。〈え~、めんどくせぇなー〉、自分でそう思って黙ってるんならいいんだけど、どうしてそれを人が聞いているところで言い出すんだか。聞いてる人がいるとなると、言っとかなきゃだからね。
《一一八五年に源頼朝が朝廷に日本全国への守護・地頭の設置を認めさせたことから、実質的な支配が頼朝に移ったと考えられるため》ってことなら“鎌倉政権”とか言っときゃいいでしょ。わざわざ“幕府”なんていう言葉を使ってるところになんか意味があるって考えるでしょう、普通。その意味は、《出征中の将軍の政庁》で、将軍は徴税権や徴兵権、地方支配権を委託されている必要があるわけだよね。だから、征夷大将軍に任命されてこその“幕府”となる。それが、“一一九二年”ね。「いい箱作ろう」よりも、「いい国作ろう」がふさわしい。
ただ、教科書に“一一八五年”と書かれていることも事実。そう書く先生方は、頼朝が天皇から征夷大将軍に任じられたことよりも、朝廷に対して、東国に割拠した武家政権としての独立性を高めたことを重視しているわけだ。つまり、《天皇の時代を終わらせた》と喜びすぎて、結局、天皇を軸として日本の歴史が形作られていくことを見落としている。・・・逆だ。天皇を軸として日本の歴史が形作られていくことを世間に軽視させるためにも、《天皇の時代を終わらせた》ことを強調している。「いい国作ろう」なんてとってつけた語呂合わせにすぎないとあざ笑っているわけだ。・・・ちょっと、教科書書いている先生方、人が悪すぎないかな。
「それがこの本と何の関係がある?」って言われると言葉に詰まるけど、幼稚な弁ほど分かりやすいってことでは同じだと感じたんだ。


「あきらめなければ夢は叶う」とか、「夢を持ち続けよう」とかさ。ものすごいですよね。曽野綾子さんは、東京オリンピックの時の、・・・もちろん一九六四年のね。その東京オリンピックで、大松女子バレーボール優勝監督が述べた「為せば成る」という言葉に反応しておられる。まさに曽野さんが言っている通り。明らかに理屈として間違っており、耳当たりが良いだけの幼稚な弁だが、いずれも特定の分野の、とある段階における成功者が、よく言うセリフである。
“特定の分野のとある段階”であるとはいえ、成功者が言う言葉であるだけに質が悪い。ずるい連中は、それを免罪符として、「もっと頑張れ」と、「これを使えば夢が叶う」と、売りにかかる。学校の人に聞いたら、カタリバのアンチャンやネエチャンが迷える高校生に言うんだそうだ。「私もあきらめないから、あなたもあきらめないで」って。ここまで来ると、ゾンビがゾンビを増やそうとしているようで、不気味でしかない。
“特定の分野のとある段階”の成功者が無邪気に考えてるだけなら、いずれ思い知らされるわけだし、何にも言わないけどね。でも、児童や少年少女に、そういうむやみなことを語らせないような社会にしておかないとね。ましてや、それをネタに金を儲けるなんてのは、犯罪よ。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
“分”を前提に人間を考える。そんなごくごく当たり前のことさえ、「えーっ、身分差別?」なんて言われちゃってね。幼稚過ぎて話しにならないんだけど、今ではそれが洪水のように押し寄せてくる有様。・・・藁を無つかむ気持ちですがりつた私の気持ち、お分かりいただけるでしょう。どうも、幼稚であるだけに、妙に分かりやすい弁っていうのは、本当に質が悪いね。
話は変わりますが、つい昨日のことです。「鎌倉幕府が開かれたのは・・・」ってやつね。「いい国作ろう鎌倉幕府で一一九二年っていうのは間違ってるんだってね」って、素人さんから言われて、見回せば皆さんうなずいている。〈え~、めんどくせぇなー〉、自分でそう思って黙ってるんならいいんだけど、どうしてそれを人が聞いているところで言い出すんだか。聞いてる人がいるとなると、言っとかなきゃだからね。
《一一八五年に源頼朝が朝廷に日本全国への守護・地頭の設置を認めさせたことから、実質的な支配が頼朝に移ったと考えられるため》ってことなら“鎌倉政権”とか言っときゃいいでしょ。わざわざ“幕府”なんていう言葉を使ってるところになんか意味があるって考えるでしょう、普通。その意味は、《出征中の将軍の政庁》で、将軍は徴税権や徴兵権、地方支配権を委託されている必要があるわけだよね。だから、征夷大将軍に任命されてこその“幕府”となる。それが、“一一九二年”ね。「いい箱作ろう」よりも、「いい国作ろう」がふさわしい。
ただ、教科書に“一一八五年”と書かれていることも事実。そう書く先生方は、頼朝が天皇から征夷大将軍に任じられたことよりも、朝廷に対して、東国に割拠した武家政権としての独立性を高めたことを重視しているわけだ。つまり、《天皇の時代を終わらせた》と喜びすぎて、結局、天皇を軸として日本の歴史が形作られていくことを見落としている。・・・逆だ。天皇を軸として日本の歴史が形作られていくことを世間に軽視させるためにも、《天皇の時代を終わらせた》ことを強調している。「いい国作ろう」なんてとってつけた語呂合わせにすぎないとあざ笑っているわけだ。・・・ちょっと、教科書書いている先生方、人が悪すぎないかな。
「それがこの本と何の関係がある?」って言われると言葉に詰まるけど、幼稚な弁ほど分かりやすいってことでは同じだと感じたんだ。
『人間の分際』 曽野綾子 幻冬舎新書 ¥ 864 「やればできる」というのは、とんでもない思いあがり |
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「あきらめなければ夢は叶う」とか、「夢を持ち続けよう」とかさ。ものすごいですよね。曽野綾子さんは、東京オリンピックの時の、・・・もちろん一九六四年のね。その東京オリンピックで、大松女子バレーボール優勝監督が述べた「為せば成る」という言葉に反応しておられる。まさに曽野さんが言っている通り。明らかに理屈として間違っており、耳当たりが良いだけの幼稚な弁だが、いずれも特定の分野の、とある段階における成功者が、よく言うセリフである。
“特定の分野のとある段階”であるとはいえ、成功者が言う言葉であるだけに質が悪い。ずるい連中は、それを免罪符として、「もっと頑張れ」と、「これを使えば夢が叶う」と、売りにかかる。学校の人に聞いたら、カタリバのアンチャンやネエチャンが迷える高校生に言うんだそうだ。「私もあきらめないから、あなたもあきらめないで」って。ここまで来ると、ゾンビがゾンビを増やそうとしているようで、不気味でしかない。
“特定の分野のとある段階”の成功者が無邪気に考えてるだけなら、いずれ思い知らされるわけだし、何にも言わないけどね。でも、児童や少年少女に、そういうむやみなことを語らせないような社会にしておかないとね。ましてや、それをネタに金を儲けるなんてのは、犯罪よ。


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